検索結果

30123件のアーカイブスが見つかりました。

条件:

年代順で並び替える : |

昭和43年の宇和島和湾地震

昭和43年(1968)8月6日、宇和島湾地震が発生し、余震が一ヶ月近く続いた。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日~14日の10日間にわたる大地震により、瓦は落ち、家は倒れ、土地の亀裂は1m以上に及ぶものもあり、ため池の水は溢れ、山上の岩石は転落して、さらに対岸にはね上がった。川の水は奔流したり、逆流したりして、人々は火を消し、戸を開けて、眠... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日~14日の10日間にわたる大地震により、瓦は落ち、家は倒れ、土地の亀裂は1m以上に及ぶものもあり、ため池の水は溢れ、山上の岩石は転落して、さらに対岸にはね上がった。川の水は奔流したり、逆流したりして、人々は火を消し、戸を開けて、眠... 続きを読む

慶安2年の地震

慶安2年(1649)2月5日、大地震。(「明治村誌」、「毛利氏歴要紀略」等による) 続きを読む

慶安2年の地震

慶安2年(1649)2月5日、伊予灘を震源とするM7.1の地震が発生した。三瓶町の震度は6程度で、当町の地震としては最大規模のものであったと推定されている。「寛明日記」によると、松山城では石垣20間、塀30年余が崩れ、宇和島城では石垣116間、長塀780間が破... 続きを読む

寛文2年の地震

寛文2年(1662)9月20日子刻、日向灘を震源とするM7.6程度の地震が発生し、日向沿岸に被害をもたらした。古記録ではいわゆる日南海岸を中心に被害が多く著されており、三瓶町の被害は不詳。 続きを読む

貞享2年の地震

貞享2年(1685)12月10日、安芸灘を震源とするM7.0の地震が発生し、安芸で潰家が多く、伊予でも被害が続出した。道後温泉は泥湯を出し、大洲地方の揺れは甚だしかった。三瓶町でも震度5以上の揺れがあり、家屋、施設などに被害があったであろうと推定される。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、潮岬南方を震源とするM8.4の地震が発生し、それに伴い津波も発生した。愛媛県内の記録は極めて少ないが、宇和島の「伊達図書館蔵古書書抜」によると、御城内は所々破損し、田503町余、高7,273石、家等が破損・流失し、死人8人、半死... 続きを読む

寛延2年の地震

寛延2年(1749)4月10日巳の下刻、瀬戸町三机周辺部を震源とするM7.0の地震が発生し、宇和島城が破損し、その他にも被害が多く出た。(「宇和島御記録抜書」による)三瓶町でも家屋などに多少の被害があったと考えられる。 続きを読む

明和6年の地震

明和6年(1769)7月28日八ツ時半、強震あり。(「宇和島御記録抜書」による)三瓶地域では、家屋の崩壊はなかったかも知れないが、相当の震度であったと思われる。 続きを読む

1 2,958 2,959 2,960 2,961 2,962 2,963 2,964 2,965 2,966 2,967 2,968 3,013