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慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、東海、南海、西海の諸島地大いに震い、大津波を伴い、土佐及び阿波宍喰で溺死するもの夥し。(「大日本地震史料」による)伊予の文献はないが、当然相当の影響があったと推測される。 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大地震により、山崩れのため泉脈が塞がれた。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)地震あり、湯出ず、その後月を越えてまた出始めた。(「松山叢談」による)伊予国地震い、道後温泉一時湧出を止む。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

寛永2年の地震

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寛永2年(1625)3月18日、地震により、温泉塞がる。松山城主蒲生忠知命じて湯神社で祈祷した。(「松山叢談」、「伊予温故録(温泉伝記)」による) 続きを読む

寛永7年の地震

寛永7年(1630)11月5日、地震により、泉脈閉塞した。(「大日本地震史料(道後温泉誌)」による) 続きを読む

慶安2年の地震

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慶安2年(1649)2月5日、伊予・安芸両国地大いに震い、宇和島、松山の二城の石垣崩れた。(「大日本地震史料」による)2月19日、予州松山より飛脚到来して申すには、今月5日、当所大地震につき城の石垣20間、塀30間余崩れたとのこと、また20日予州宇和島より飛脚... 続きを読む

貞享2年の地震

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貞享2年(1685)12月4日、大地震により、道後湯没した。御城郭のうち数カ所が崩れた。(「大日本地震史料(津田家記)」による) 続きを読む

貞享3年の地震

貞享3年(1686)12月10日、安芸の地大いに震い、家屋倒壊するもの多かった。長門及び伊予にも被害あり。(「大日本地震史料」による)地震により、泥湯が湧出し、その後清湯となった。(「伊予温故録(温泉伝記)」による) 続きを読む

元禄元年の地震

元禄元年(1688)5月23日、強震3回あり。(「大日本地震史料(宇和島御記録抜書)」による) 続きを読む

元禄7年の地震

元禄7年(1694)閏5月25日、伊予国で大地震、火事。(「大日本地震史料(続日本王代一覧)」による) 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、五畿七道にわたり地大いに震い、続いて九州の南東部より伊豆に至るまでの沿海の地は悉く津波に襲われ、震災全部を通じて家潰れ29,000戸、死者4,900人に及んだ。また土佐では地形変動を生じたところあり。(「大日本地震史料」による)... 続きを読む

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