902件のアーカイブスが見つかりました。
条件:徳島県 土砂災害
明治25年(1892)7月、台風による洪水と高潮のため、徳島市、名東郡、板野郡等で浸水被害が発生した。また、那賀川中流の高磯山が崩壊し、その後那賀川を堰き止めていた土砂が決壊するとともに、海部川上流の保瀬、勝浦川上流の葛又でも山腹斜面が崩壊し、被害が発生した。 続きを読む
明治25年(1892)7月、暴風雨により、那賀町上那賀の高磯山(611m)が崩壊し、流出した土砂で那賀川は流れをせき止められた。この時、平谷の妙法寺の薬師堂が水に浮き、逆流して平谷八幡神社の上のあたりにまで浮かんでいったが、せき止めた土砂が決壊したため、薬師堂... 続きを読む
明治25年(1892)7月、台風により、木頭村高磯山の崩壊。人家15戸埋没、流出150戸、土砂が那賀川をせき止め逆流。(「徳島県災異誌」、「水害統計」、「那賀川改修史」等による)(那賀川における災害年表) 続きを読む
明治25年(1892)7月22日より24日にかけて那賀川水系は暴風雨となり、午後11時の那賀川筋水量は約1丈2尺(約3.6mの水高)。25日には引き続き暴風雨となり那賀川上流の木頭村で山腹崩壊し、27日午後5時30分には堆積した土砂が一大決壊して、下流の古毛・... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、洪水により、徳島県下の被害は流死人男101人・女60人、圧死人男91人・女49人、負傷人男49人・女40人、全潰家2,635棟、流家644棟、半潰家2,559棟、潮入水入家36,242戸、船舶破壊・流失477艘、河川堤防決潰2... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、台風が高知市に上陸し、四国、中国を縦断した。那賀川町では赤池で那賀川の堤防決壊、大手海岸の侵食などの被害が出た。山地崩壊は那賀川上流の高磯山(上那賀町)が最大で、これにより那賀川は荒廃をきたし、影響ははかりしれないものとなった... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、福原村田野々の葛又山(こずまたやま)の崩壊により、棚野村では三渓字上川原堤防、豊毛本(ほけもと)堤防、天狗嶽井堰、庚申井堰が決壊した。また、立川道路、樫渕道路のほか、75箇所が決壊した。(長田八百三氏日記、横瀬町史等による) 続きを読む