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条件:徳島県 土砂災害
明治25年(1892)7月25日午後2時頃、保勢が崩壊して、海部川を堰き止めた。崩壊により北岸の山麓にあった3家族11人及び山稼ぎ36人、馬3頭が家屋とともに生き埋めになった。堰き止めによってできた自然ダムの決壊日時は、同年7月31日の徳島日日新聞の記事により... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日、台風のため、上那賀町大戸にある高磯山(611m)が土砂崩壊を起こした。那賀川は土砂によって堰き止められ、にわかの天然ダムによって上流では侵入被害で家屋が流出した。28日午後になって土砂ダムが崩壊したため、その洪水が下流の和食に... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日、高磯山が崩壊し、木頭・坂州の両部落で家屋等の流失や浸水の被害が出る。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む
明治25年(1892)7月25日、豪雨のため、那賀川中流の下木頭村大戸の高磯山北斜面が崩壊し、山麓の荒谷及び対岸の春森の2つの集落10数戸、60余人が埋没した。約400立米の崩土は那賀川を堰き止め、河水は対岸の春森へ河床から110mの高さまではい上がり、天然ダ... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日、台風による豪雨のため、高磯山(標高611m)が崩壊し、流出した約400万立米の土砂は対岸の春森、久米鍛治の集落をのみ込み、崩壊家屋15戸、死者65人の被害が出た。崩壊した土砂は那賀川を堰き止め、総湛水量7,250立米(長安口ダ... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日正午頃、木頭村大字大戸村(現上那賀町大戸)の標高約600mの高磯山が大崩壊し、崩積物は対岸の春森へ河床から約110mまで押し上げて那賀川を堰き止めた。天然ダムは最低所が河床から71m(標高251m)の高さで、上流に湛水量推定7,... 続きを読む
明治30年(1897)9月29日、台風により、西祖谷山村閑定でがけ崩れが起こり、被害は死者5人、家屋全壊1戸に及んだ。(吉野川上・中流域の主な土砂災害による) 続きを読む
明治30年(1897)9月29日午後9時~10時頃、大水により家屋裏の山畑が長さ2間、幅3間、厚さ1間程崩壊し、土砂が屋根を打ち抜いた。祖谷川で取った魚を囲炉裏で焼いて団らんを楽しんでいた家族5人が犠牲になった。 続きを読む