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条件:徳島県 高潮
明治21年(1888)8月30日、台風が徳島県を通って日本海を縦断。徳島県の被害は死者51人、全潰2,862戸、半潰989戸。(「日本気象災害年表」による)/橘に高さ8~10尺の高潮、椿泊村役場の書類、漁具の流失多し。(「徳島県史料年表」による)/長江新田潮入... 続きを読む
明治21年(1888)8月30日、台風が徳島県を通って日本海を縦断。徳島県の被害は死者51人、全潰2,862戸、半潰989戸。(「日本気象災害年表」による)/橘に高さ8~10尺の高潮、椿泊村役場の書類、漁具の流失多し。(「徳島県史料年表」による)/長江新田潮入... 続きを読む
明治21年(1888)8月30日、台風が徳島県を通って日本海を縦断。徳島県の被害は死者51人、全潰2,862戸、半潰989戸。(「日本気象災害年表」による)/橘に高さ8~10尺の高潮、椿泊村役場の書類、漁具の流失多し。(「徳島県史料年表」による)/長江新田潮入... 続きを読む
明治3年(1870)9月7日より大雨が降り、8日は中喜来一帯が洪水となった。堤防の破損箇所は43箇所、長さ約500mにわたり、土橋が19箇所流失した。三木文庫文書「天気帳」によると、この洪水の水位は、慶応2年寅年の水に比べて1尺5寸ほど低かった。 なお、この被... 続きを読む
明治3年(1870)9月6日から台風のため風雨が強く、11日に勝浦川の堤防が決壊した。元根井など海岸部は、高潮の被害を受け、内陸部の外開・北開から中田山路端まで潮が入った。横須のお玉井利も被害も受け、日開野、芝生、田野、金磯の各新田にも潮が入り、稲作に大きな被... 続きを読む