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37件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 つるぎ町(貞光町)

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安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、大地震により町内の墓地や庚申塔が倒れたと伝えられている。町内の至る所で、山畑の崩壊があったものと思われる。 続きを読む

安政4年の洪水

安政4年(1857)7月29日四ツ時(午前10時)から降り出し、8月朔日朝四ツ時まで大雨が続いた。八朔水と言われる。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)7月朔日から大雨が降り始め、4日~5日は篠突くばかりの大降りで、6日~7日は前代未聞の大水となった。貞光では、別所谷、八渓葉谷の激流が樹木を倒し、南町橋、正福寺橋、八幡橋、渡瀬橋は落下、流失した。貞光川沿岸の田畑では川底砂地となった所もあっ... 続きを読む

明治16年の干ばつ

明治16年(1883)、53日間の干ばつ。(端山村長・竹田浦三郎の「美馬郡端山村試験実歴」による) 続きを読む

明治16年の大雪

明治16年(1883)1月11日、大雪。2尺以上。(端山村長・竹田浦三郎の「美馬郡端山村試験実歴」による) 続きを読む

明治26年の干ばつ

明治26年(1893)、56日間の干ばつ。(端山村長・竹田浦三郎の「美馬郡端山村試験実歴」による) 続きを読む

明治26年の大雪

明治26年(1893)2月27日、大雪。2尺以上。(端山村長・竹田浦三郎の「美馬郡端山村試験実歴」による) 続きを読む

昭和20年の真光寺の火災

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昭和20年(1945)1月29日夜8時、真光寺本堂で火災が発生した。この火災で、疎開中の大阪市北区南恩加島国民学校3・4年生29人中、16人が焼死した。当時は大人は一人もおらず、火事を知った児童は逃げようとしたものの、寺の雨戸は中々開かず、勝手も分からず逃げ遅... 続きを読む

昭和20年の真光寺の火災

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昭和20年(1945)1月29日、貞光町の真光寺で火災が発生し、大阪から疎開していた児童15人が焼死。 続きを読む

昭和20年の火災

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昭和20年(1945)1月29日夜、美馬郡貞光町の真光寺本堂から出火し、本堂が全焼した。この火事で、当時、同寺本堂に疎開していた大阪市大正区の南恩加国民学校3年生の児童30人のうち16人が焼死した。 続きを読む

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