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条件:徳島県 三好市

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文政11年の風雨

文政11年(1828)8月、風雨。 続きを読む

文政11年の風雨

文政11年(1828)8月、風雨。 続きを読む

文政12年の洪水

文政12年(1829)、佐馬地川で大洪水。馬路川洪患志によると、「口碑によれば七日七夜降りつづき、処々に山津波が起こり馬路川の井堰はことごとく決壊し翌春はあゆが佐野までさかのぼった」という。 続きを読む

文政12年の洪水

文政12年(1829)、馬路川で大洪水。この大洪水を「丑年大流れ」と言い伝えている。口碑によれば、七日七夜降り続き所々に山津波が起こり、馬路川の井堰は悉く決壊し、翌春は若鮎が佐野まで遡上した。この洪水は佐野の庄屋の石垣を浸した。(「馬路川洪患志」による) 続きを読む

天保6年の干ばつ・風雨

天保6年(1835)夏は大旱、秋は大雨のため、諸川洪水のため、農産物の被害は少なくなかった。 続きを読む

天保7年の大雨

天保7年(1836)夏秋続いて大雨のため、稲が実らず、大凶作となって餓死者が続出した。 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)、吉野川で大洪水。馬路川洪患志によると、「天保十三年の洪水で北名の馬谷は土砂を押し出し数戸の家屋を埋め、水路は北名の北がわをまわって住吉の下に流れた。馬路川の堂床の大木は山津波と共に押し流されて土居の田の中に立ち、宮の谷の洪水は土砂を流し... 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)、馬路川で大洪水。これを「寅年の大洪水」と言い伝えている。洪水により白地馬谷の土砂が北名の数戸を埋め、水路は北名の北端を迂回して住吉山の麓に出た。馬路深川谷の堂床の大木が山津波に乗って立ちながら土居の田の中に押し出された。宮の谷の洪水は境... 続きを読む

弘化4年の火災

弘化4年(1847)正月11日、三好郡辻町で出火、猛烈な西風に煽られ、延焼90戸に及んだ。(「三好郡志」による)/正月11日、大工職の妻が重能の火をかんな屑に落とし込んだため、火の手が起こり、浜の町、四つ辻付近は一面の大火となり、炎はうねうねと穴薬師の山林まで... 続きを読む

弘化4年の火災

弘化4年(1847)1月11日、辻町で火事、猛烈な西風に煽られ、延焼90戸。(「三好郡誌」による) 続きを読む

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