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114件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市 風水害

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明治15年の洪水

明治15年(1882)8月、徳島で路上の水嵩8尺なりと。(「摘要類函抄」による) 続きを読む

明治15年の洪水

明治15年(1882)8月、徳島で路上の水嵩8尺なりと。(「摘要類函抄」による) 続きを読む

明治11年の洪水

明治11年(1878)9月7日と18日、那賀川下流の平島村西原から羽ノ浦町古庄の堤防が決壊。 続きを読む

明治4年の大雨

明治4年(1871)7月4日、四国で大雨。板野郡川内村の小松新田の堤防が決壊。 続きを読む

明治4年5月の大雨

明治4年(1871)5月17日~18日、中国、四国、近畿に大雨、川内村小松新田破壊。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

明治4年の洪水

明治4年(1871)5月17日、洪水。/6月、洪水のため、川内村小松新田破堤、同年復旧。(「板野郡誌」による)(6月は5月の誤り) 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)7月末から降り始めた霖雨は、次第に大雨となり、8月7日夕方には古来稀な大水となった。吉野川は増水し、土地の高いところでも床上2、3尺、低いところでは天井に達するほどの浸水であった。この時の洪水の痕跡が徳島市国府町の蔵珠院に残されている。茶室... 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月7日、「寅の水」と言われる洪水が吉野川平野を襲った。徳島市国府町の蔵珠院の板戸と茶室には洪水痕跡が残されている。また、同寺の過去帳には洪水のために無くなった老若男女32人の法名が列記され、同寺は座上2尺余り浸水したと記されている。座上2... 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月5日から大雨が降り始め、7日夜に大洪水が発生した。この時の洪水痕跡が徳島市国府町の蔵珠院に残されている。痕跡は畳から2尺、寺の周囲の畑から約3mの高さにある。また、同寺の過去帳には、この洪水で亡くなった檀家32人が列記されている。 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月5日から大雨が降り始め、7日夜に大洪水が発生した。この時の洪水の痕跡が徳島市国府町の蔵珠院に残されている。痕跡は茶室の畳から2尺、寺の周囲の畑から約3mの高さにある。また、同寺の過去帳によると、この洪水で檀家32人が亡くなったことが記さ... 続きを読む

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