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条件:徳島県 徳島市

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文政7年12月の火災

文政7年(1824)12月12日卯刻前、東新町より出火。西北風烈敷大火、総竈数932軒、納屋204ヶ所、土倉24ヶ所。(「阿淡年表秘録」「阿波志」「かどや日記」などによる) 続きを読む

文政7年の火災

文政7年(1824)12月12日卯刻前、東新町より出火、大西北風烈しく、大火に相成り、富田町、新魚町、桶屋町、藍屋町、古物町、大工町2、西大工町、西新町1、南大工町まで焼失、未刻鎮火。総戸数932軒、土蔵24軒。但し、お届1,398町家のうち13取り崩し、67... 続きを読む

文政7年の火災

文政7年(1824)12月12日卯刻前、徳島東新町より出火、西北風烈しく大火になり、富田町、新魚町、桶屋町、藍屋町、古物町、大工町2丁目、西大工町、西新町1丁目、南大工町まで焼失し、未刻鎮火。総戸数932戸、土蔵24箇所、但し御届1,398軒町屋、うち13戸取... 続きを読む

文政7年の火災

文政7年(1824)12月12日卯刻前、東新町より出火、大西北風烈しく、大火に相成り、富田町、新魚町、桶屋町、藍屋町、古物町、大工町2、西大工町、西新町1、南大工町まで焼失、未刻鎮火。総戸数932軒、土蔵24軒。但し、お届1,398町家のうち13取り崩し、67... 続きを読む

天保4年の火災

天保4年(1833)11月8日晩4ツ時(午後10時頃)、名東郡西黒田村で出火し、大風により竈11軒、棟数30余焼失した。(「元木氏記録」による) 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつが続いたため、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給した。 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

天保9年の山火事

天保9年(1838)2月13日正午頃、徳島の眉山で山火事が発生し、富田八幡宮上より瑞岩寺上まで山が焼け、7ツ時(午後4時頃)までに鎮火した。(「阿陽市街実記」による) 続きを読む

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