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315件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市

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安政元年の地震

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嘉永7年(1854)、南海地震が発生した。徳島市南沖洲の蛭子神社境内には、地震後建立された百度石がある。石の劣化がひどいが、「蛭子神社記」によると、津波が来るからといって船に乗って逃げてはいけないこと、冷静になって火を消すこと、百年しないうちに南海地震が再び発... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、M8.4の南海地震により、徳島県下では甚大な被害を受けた。津波による被害は県南部沿岸地域の被害が顕著であったが、死者数は人口が集中していた徳島城周辺(現在の徳島市)が最も多かった。この研究では、安政南海地震による徳島市の被害を記録した歴史... 続きを読む

安政元年の大坪切れ

安政元年(1854)、大洪水により園瀬川筋大坪一帯の堤防が破堤し、田の埋没、人家の流失等、未曾有の水害を蒙り、溺死者数知れぬ惨状を呈したと伝えられる。 続きを読む

安政元年の洪水

安政元年(1854)、大洪水により園瀬川筋大坪一帯の堤防が決壊した。田の埋没、人家の流失等、未曾有の水害を蒙り、溺死者数知れぬ惨状を呈した。 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)、M8.4の安政南海地震が発生した。この研究では、安政南海地震による徳島市の被害を記録した歴史史料をもとに、地震被害を抽出、再整理し、被害の空間分布を示している。これによると、住吉、内町、富田、福島など干拓地で特に被害が大きく、津田、二軒屋... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日朝辰の下刻に地震が起こり、所々で建物が傷んだという。その夜2、3度小さな地震があり、翌5日申刻に天地が覆るような地震が起こった。寺の仁王門はギイギイと揺れ、釣鐘も自然に棒を撞いて早鐘のように鳴った。(中財国蔵氏所蔵同家祖近藤基之助... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こり、さらに32時間後の5日午後4時頃に同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、県東南海岸一帯で地震と津波によって、家屋の倒壊・流失、死者が多く、被害は甚大であったと伝えられてい... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こった。さらに32時間後の5日午後4時頃、同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、地震とそれに伴う津波によって甚大な被害が起こった。海部郡由岐浦では205戸のうち199戸流失、死... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日午後5時頃、地震が起こったため、地面は裂け、水が噴出し、倒家も多かった。その上、津波が来るとのことで、村民は皆狼狽した。藪中に避難して野宿する者もあれば、板東方面まで落ち延びた者も少なくなかった。しかし、津波は陸地まで達せず、川中... 続きを読む

安政元年の大火

安政元年(1854)11月4日、5日、徳島市街で大火、稲田九郎兵衛、加島出雲両屋敷全焼、家中・町家は類焼し、残る家でも無事なものはなかったという。(「勝浦郡誌」による) 続きを読む

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