検索結果

163件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 石井町

年代順で並び替える : |

明治21年の洪水

明治21年(1888)7月21日、吉野川大洪水で、藍畑村の西覚円・西条・知恵島の堤防決壊、死者26人、流失家屋188戸、田畑100町歩の被害を受けた。地元の人々は憤慨し、「改修工事のための水害」と抗議して工事事務所を襲撃した。県会でも工事の設計が悪いからだと大... 続きを読む

明治21年7月21日の洪水

明治21年(1888)7月21日、大出水があり、板野郡西条(上板町)、阿波郡知恵島(鴨島町)で堤防決壊。(「徳島県議会史」による) 続きを読む

明治21年7月31日の洪水

明治21年(1888)7月31日、午前11時過ぎ西覚円村新堤決潰。その個所は本年新たに築きたる新堤接続の所より崩壊。(「普通新聞」による) 普通新聞は、堤防決潰の時に、18人がモチノキによじ登り5時間も辛抱したあげくに、流れてきた家屋がモチノキに衝突して18人... 続きを読む

明治21年7月9日の洪水

image

明治21年(1888)7月9日、吉野川大洪水により、県工事の名西郡西覚円の堤防決壊。 続きを読む

明治21年の洪水

image

明治21年(1888)7月、洪水により、石井町西覚円付近の堤防が決壊した。この時の洪水で、県事務所が間借りしていた民家を含む43戸が押し流され、土木監督署員、県土木課員などを含む30人が亡くなった。この水害の原因は国の吉野川改修工事のミスによるものだとして、住... 続きを読む

明治21年の洪水

明治21年(1888)7月、洪水のため、吉野川で工事中の西覚円堤防が300間にわたって決壊し、人家流失80戸、死者30余人の被害を出した。その中には県職員の殉職も含まれていた。この災害を契機に、内務省による吉野川の改修工事は中断せざるを得なくなった。 続きを読む

明治21年の洪水

image

明治21年(1888)7月、第十堰上流4kmの西覚円村で堤防が決壊し、破堤延長369間、同腹欠け189間、家屋の流失・破壊116戸、溺死27人のほか、西覚円・東覚円・高畑・第十の4村で田畑の荒廃約262帳の被害が出た。この災害をきっかけとして、国庫による河身改... 続きを読む

明治21年の洪水

明治21年(1888)7月と9月の洪水により、西覚円村(石井町)ほか数か村で堤防決壊、死者26人、流失家屋188戸。(吉野川治水年表による) 続きを読む

明治21年の洪水

image

明治21年(1888)7月、洪水により、石井町西覚円の堤防が決壊し、多くの民家が流され人命が奪われた。その時、モチの木によじ登り助けを求めた人々がいたが、上流から流れてきた民家が引っ掛かり、モチの木が根元から倒壊し、木も人も濁流に流された。洪水の後、住民は被害... 続きを読む

明治21年の洪水

明治21年(1888)7月、洪水により、石井町西覚円の堤防が決壊し、多くの民家が流され人命が奪われた。その時、モチの木によじ登り助けを求めた人々がいたが、上流から流れてきた民家が引っ掛かり、モチの木が根元から倒壊し、木も人も濁流に流された。洪水の後、住民は被害... 続きを読む

1 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 17