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条件:徳島県 那賀町(鷲敷町) 風水害
昭和36年(1961)9月16日午前9時過ぎ、第二室戸台風が室戸岬の西方に上陸し、午後1時過ぎに阪神間に達した。丹生谷山間部では、14日から雨が続き、那賀川が増水したが、民家への浸水は床下3戸にとどまった。しかし、取り入れたばかりの稲藁が流失した。このうち、稲... 続きを読む
昭和25年(1950)9月13日、キジア台風はジェーン台風のすぐ後に来て、道路、農用施設等の被害が倍加された。このため、その災害復旧に7年余の歳月を要した。 続きを読む
昭和25年(1950)9月3日のジェーン台風による被害等の写真10枚。仁宇王子前の水田流失、中山国近谷の田畑崩壊、大水に浸る和食町、和食東部町の水害状況、救援物資の分配等。 続きを読む
昭和25年(1950)9月3日、ジェーン台風は四国や近畿に大きな被害を与えた。鷲敷町では戦後2回目の災害救助法適用を受けた大きな災害であった。被害は、流失家屋2戸、全壊家屋1戸、床上浸水113戸などで、那賀川はもちろん、町内の各河川や支流が全て氾濫し、全町にわ... 続きを読む
昭和24年(1949)6月20日、デラ台風が九州地方に上陸した。鷲敷町では大雨が続き、那賀川が約7m増水し、田畑の冠水37町歩、道路欠潰9箇所、橋の流失1、非住家流出3棟で、災害救助法が発動された。災害復旧費として326千円が予算化された。 続きを読む
昭和9年(1934)9月21日午前5時頃、高知県奈半利町に上陸した台風で、最低気圧684ミリ、最大風速45mという当時の世界最大級の台風と言われた。鷲敷町には大きな被害がなかった。 続きを読む
大正7年(1918)8月29日、30日、大正7年の大水と言われる大洪水があった。浸水家屋341戸、避難した家10戸、流出家屋17戸、倒壊家屋6戸。 和食郷西在庵境内には、大正7年の大水に際して多くの人命を救助した岩端利三郎の墓がある。その墓には、那賀川の大洪水... 続きを読む