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139件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 那賀町 風水害

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天保13年の大洪水

天保13年(1842)、大洪水。 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)、大水出原のすがず婆流される。旧道筋端伝寺の石段まで水。(「木頭村誌」による) 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)、大水出原のすがず婆流される。旧道筋端伝寺の石段まで水。(「木頭村誌」による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)、大水出原のすがず婆流される。旧道筋端伝寺の石段まで水。(「木頭村誌」による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

天保14年7月の水害

天保14年(1843)7月6日、7日の七夕水で、那賀川仁宇津渡し附近の川幅が普段の40間程から80間幅となり、水の高さは普段の三間半増しとなった。(小仁宇村秋本家文書による) 続きを読む

弘化4年の洪水

弘化4年(1847)、大風雨、洪水。 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)、大風雨、洪水。前代未聞の大水で、一般に阿房水と呼ばれた。 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月10日、11日の大雨は前代未聞の大出水を引き起こし、世人はこれを阿房水と命名した。酉の阿房水と言われる。被害を受けた田畑は、被害の多少に応じて2年間年貢を免除された。 続きを読む

嘉永4年の雪解水

嘉永4年(1851)2月、雪解水が押し寄せて材木類がたくさん流れた。小仁宇の庄屋、秋本和三郎の手先で懸け留め置いた材木を多い村(加茂谷)の流水改所へ届け出た文書が秋本家に残っている。 続きを読む

安政4年の八朔水

安政4年(1857)8月1日、大洪水。7月29日夕方から降り出して8月朔日に大洪水となった。事跡は残っていないが、八朔水という言葉は古老の口碑に残っている。 続きを読む

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