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255件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 那賀町

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大正元年の洪水

大正元年(1912)、洪水。朴野で雨量302ミリに達した。 続きを読む

明治35年の火災

明治35年(1902)1月16日、小仁宇で大火災があり、14戸が全焼した。昼間の火事だったので、人畜に被害はなかったが、損害は甚大であった。しかし、各方面からの温かい援助と罹災者の復興意欲により、2、3年で全戸瓦葺の居宅が建築された。 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月、台風により、木頭村では安永4年(1775)以来の大洪水。(「徳島県災異誌」、「水害統計」、「那賀川改修史」等による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月、台風により、木頭村では安永4年(1775)以来の大洪水。(「徳島県災異誌」、「水害統計」、「那賀川改修史」等による)(那賀川における災害年表) 続きを読む

明治32年の降雹

明治32年(1899)5月13日、ひょうのため、麦種代もなし、翌日黄砂、太陽赤く朝夕甚だし。(木頭村「岡田日記」による)/海川木頭大雹。(「諸事誌留簿」による) 続きを読む

明治32年の降雹

明治32年(1899)5月13日、ひょうのため、麦種代もなし、翌日黄砂、太陽赤く朝夕甚だし。(木頭村「岡田日記」による)/海川木頭大雹。(「諸事誌留簿」による) 続きを読む

明治32年の降雹

明治32年(1899)5月13日、ひょうのため、麦種代もなし、翌日黄砂、太陽赤く朝夕甚だし。(木頭村「岡田日記」による)/海川木頭大雹。(「諸事誌留簿」による) 続きを読む

明治25年辰の水

明治25年(1892)7月24日の夜、那賀川は増水したが、翌25日には平水となった。これは荒谷山三文峠が大崩壊して、那賀川の水を堰き止めたためであった。27日午後4時過ぎになって、堰き止めていた土砂が崩れ始め、その水は約17m余の濁流となって家屋田畑を壊流した... 続きを読む

明治25年の洪水

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明治25年(1892)7月25日正午頃、木頭村大字大戸村(現上那賀町大戸)の標高約600mの高磯山が大崩壊し、崩積物は対岸の春森へ河床から約110mまで押し上げて那賀川を堰き止めた。天然ダムは最低所が河床から71m(標高251m)の高さで、上流に湛水量推定7,... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日午前11時から正午頃、台風による暴風雨で、上那賀町大戸の高磯山(611m)が崩壊した。崩壊した土砂は那賀川を越えて対岸の春森まであふれ、荒谷・春森の人家十数戸、60余名が埋没した。土砂は那賀川の流れをせき止め、天然ダムを形成した... 続きを読む

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