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489件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市

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嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月10日、酉の水。北方でいう阿呆水であるが、北方ほどの大被害はなかった。那賀川町工地や上福井に水入地や浸水があった程度である。しかし、町内では古毛方面の堤防が破壊されて近くの集落を濁流が覆い、田畑への砂入や道路の崩壊があった。 続きを読む

嘉永3年の風雨

嘉永3年(1850)、大風雨。 続きを読む

嘉永5年の干ばつ

嘉永5年(1852)6月、干ばつが42日間続き、畑作物は皆無となった。 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)6月まで、大干ばつが52日続いた。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)、南海地震により、阿南市新野の海老川で河川閉塞が起こり、新湖が出現した。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)に発生した大地震により海岸部の大手堤が決壊したため、答島村の農民は修復工事を再三にわたって藩に願い出た。願いが聞き入れられないと判断した農民・林左衛門は、修復工事に要する銀子借用を藩の蔵所に願い出た。 続きを読む

嘉永6年の火災

嘉永6年(1853)12月21日、石仏村で火事が発生し、7軒が焼けた。(「北谷繁蔵記録」による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝、大地震が起こり、その日は大震、小震が続いた。5日七ツ時(午後4時頃)には大震動となり、夜五ツ半(午後9時頃)には最もきびしい揺れ方で、小便壷もざぶざぶ揺れ、家の軒端も地につくように見え、木樹の穂先は地を掃くかと思い、鶏は庭に転... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)霜月4日を始めとして、大地震が起こった。江野島の古老(当時7歳)が津波に備えて中庄の観音山に避難したことなどの体験談が記されている。八幡、黒地、色ヶ島、今津浦など本村内の村浦は大抵中庄の観音山に避難したというのは古老の話で一致している。 続きを読む

嘉永7年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日4ツ時(午前10時頃)地震が起こり、高潮が浜土手を越え、川筋を奥手まで上がったが、その後海上は静かになってその日は暮れた。翌5日夕7ツ時(午後4時頃)大地震が起こり、樹木が動揺し、響きは山谷にわたり鳴り止まなかった。酉の刻(午後6... 続きを読む

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