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158件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿波市 風水害

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明治29年の台風

明治29年(1896)8月30日、暴風雨により、一条村では洪水が吉野川筋で1丈5尺、宮川内谷川筋で8尺余となり、流死1人、潰家屋10棟、半潰家屋5棟、床下浸水100戸、浸水耕地90町、荒地耕地11町余、道路破損1箇所、堤防破損5箇所、橋梁破損2箇所等の被害が出... 続きを読む

明治29年の大雨

明治29年(1896)9月4日に低気圧が日本海を通過した後、前線が四国沖に停滞して大雨となり、4日から11日までの8日間の雨量は760ミリとなった。このため、各河川が増水し、全県下で被害があった。この災害に対して、両陛下より徳島県に1,300円の見舞金が下賜さ... 続きを読む

明治31年の洪水

明治31年(1898)8月、吉野川大洪水。 続きを読む

明治31年の洪水

明治31年(1898)8月、吉野川大洪水により護岸堤防破損甚だし。 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)7月9日、県下大暴風雨により大洪水。片岡侍従が被害状況視察。 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月9日、吉野川大洪水。 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)9月8日、洪水により、土成村樫原谷が崩壊し、山津波を起こして、人家が流失し、死者数人が高畑に流れ着くという悲惨事があった。この時、高畑の住民は炊き出し米の配給によって飢えをしのいだという。また、千田須賀の東の堤防が切れた。 続きを読む

明治35年の洪水

明治35年(1902)9月、大洪水により渡船が転覆して、乗船していた八万高等小学校の女生徒5人が亡くなるという惨事が起こった。これを機に、吉野川改修工事に対する地元住民の関心が急速に高まった。 続きを読む

明治35年の洪水

明治35年(1902)9月、洪水により鎌保庵東方の2戸の家が流され西の首の竹やぶにかかって止まった。この時、隣家4戸は流失した。また、東川原では24戸のうち半数の12戸が流失し、小股筋でも家屋9戸が流失した。 続きを読む

明治35年の洪水

明治35年(1902)9月、大洪水により渡船が転覆して、乗船していた八万高等小学校の女生徒5人が亡くなるという惨事が起こった。これを機に、吉野川改修工事に対する地元住民の関心が急速に高まった。 続きを読む

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