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条件:愛媛県 渇水

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昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月13日~10月3日、晴天続きで、雨量は8月11ミリ、9月10ミリであった。井戸は涸れ、水道は時間給水となり、ミカン農家は朝早くから水を運搬して灌水したが、枯死するのを食い止める程度で、大きな被害が出た。被害率は、水稲50%、夏柑50%... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月13日から10月3日まで晴天続きで、雨量は8月11ミリ、9月10ミリ(消防署調べ)であった。井戸は涸れ、水道は時間給水となり、みかん農家は朝早くから水を運搬して灌水したが、枯死するのを食い止める程度で、大きな被害が出た。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月13日から10月3日まで83日間にわたる大干ばつで、8月と9月の2ヶ月間の総降水量は20ミリほどしかなく、農作物に大被害が出た。保内町では、9月2日に前例のない干害対策本部を設置し、給水資源の確保と農家への給水に努めた。被害率は、水稲... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月13日から10月3日まで83日間にわたる大干ばつで、8月と9月の2ヶ月間の総降水量は20ミリほどしかなく、農作物に大被害が出た。保内町では、9月2日に前例のない干害対策本部を設置し、給水資源の確保と農家への給水に努めた。被害率は、水稲... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月13日から10月3日までの雨量は、7月192.7ミリ、8月12ミリ、9月10ミリであった。井戸は涸れ、水道は時間給水となり、農家は朝早くから灌水の水を運搬したが、枯死するのを食い止める程度で、大きな被害が出た。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月12日から10月26日の雨量は96ミリ(宮浦中学校調べ)と少なく、農作物の損害は4多く6,000万円に上った。干害応急対策事業、天災融資等の資金の貸し付け、町税の減免措置などが行われた。(「広報大三島」による) 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月11日から10月5日までの86日間で、雨が54.2ミリしか降らず、ひどい干ばつに見舞われた。主幹作物のみかんが全地区とも枯死寸前の状態となった。井戸の新設、ポンプの増設等は国・県の補助対象となり、応急対策費は168施設1,800万円余... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月9日に93.5ミリの雨があった後、10月5日までの87日間、雨らしい雨がなかった。農作物の被害は、水稲、甘藷、栗、柿、みかんの合計で2億8,407万円余に及んだ。双海町では応急対策事業を行った。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月9日に93.5ミリの雨があった後、10月5日までの87日間、ほとんど雨がなかった。地表は乾燥し、畑作はもちろん水耕、果樹園芸にまで被害が及んだ。農作物の被害は、水稲、サツマイモ、クリ、カキ、ミカン、樹体被害の合計で2億9,307万円余... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

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昭和42年(1967)7月10日から10月25日までの80日間の大干ばつにより、特に高山、宮野浦、田之浜地区の上水道の水源地は枯渇して、50日間に及ぶ断水状態となった。このため、飲料水は宇和町・野村町の上水道から連日トラックで運搬して給水を行った。また、農作物... 続きを読む

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