23件のアーカイブスが見つかりました。
条件:愛媛県 今治市(宮窪町)
昭和14年(1939)7月初めから夏型の気圧配置で、高温寡雨で、宮窪町では植え付けしてもその後の水不足のため収穫皆無となる田もあった。その中で、向側の共同耕作は特筆される。その方法は、脇田農事実行組合、法金農事実行組合が協力して、数原池掛りの水田7町6反余のう... 続きを読む
昭和15年(1940)7月8日早朝3時頃より、雨が激しく降り出し、大島地区全域で豪雨となった。特に大山村田之浦、泊、宮窪村宮窪では激しい集中豪雨となった。このため、それまで長雨の水を含んでいた山肌、傾斜地では山崩れ、崖崩れが続出した。宮窪中央を流れる大川の堤防... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から24日にかけて降雨が続き、各地で記録的な豪雨となった。4日間の降雨量は宇和島で940ミリ、松山で540ミリ、東予地区で300~400ミリであった。八幡浜、松山、今治間の鉄道も不通となり、大洲盆地は一大湖水と化した。この時、宮... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日未明、南海道沖でM.81の大地震が発生し、県下では震度4~5となり、被害は県下で死傷者58人、家屋の全半壊1,343戸に及んだ。地震後、瀬戸内海沿岸では地盤沈下が続き、その対策に追われることになった。 続きを読む
昭和23年(1948)、大干ばつのため、向側では昭和14年の干ばつに引き続いて2回目の共同耕作が行われた。総反別7町1反余のうち、3町8反余に植え付けし、67石4斗余の収穫があり、62戸の農家に分配された。 続きを読む
昭和24年(1949)6月20日午後10時30分頃、デラ台風が薩摩半島南端に上陸し、九州、四国は大暴風となり、県下では海上、沿岸で被害が続出した。 続きを読む
昭和26年(1951)10月14日、ルース台風により、佐田岬灯台で瞬間風速68.9mを観測した。東予・中予の沿岸と島嶼部では高潮と風波による被害が続出した。宮窪では半壊628戸、流失202戸、船舶の沈没・流失565席、田畑埋没503町歩の被害が出た。今治市ほか... 続きを読む