検索結果

39件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 伊予市 地震・津波

年代順で並び替える : |

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月5日の地震により、郡中町で怪我人40人、人死20人。(「兵藤家文書」による)/郡中3町(灘町、湊町、三島町)のうち湊町だけで8人が家屋の倒壊の下敷きになるなどして死亡した。(「郡中三町の『独立』と安政大地震の記録」による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日、紀伊半島沖を震源とする地震により、伊予灘側で津波被害はなかったようであるが、津波到来のうわさで人々は近山へ逃げ迷ったとされる。大洲藩領の重要港湾である郡中三町(伊予市)では、家屋倒壊で8人死亡、火事の被害もあった。藩は避難小屋を... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日7ツ時(午後4時頃)及び7日4ツ時(午前10時頃)に、大地震があった。大地震で倒壊した家の下敷きになるなどして8人が死亡した。また、大地震の際に浜方のあちこちで火災が発生した。さらに、道後温泉では源泉の湯がとまったが、翌年5、6月... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、豊後水道を震源とする大地震があり、沈静まで7日間揺れ動いた。その間、山を崩し、樹木を倒し、飛鳥地に落ち、地盤は亀裂し、土路水噴出数十尺も暴騰散乱し、人畜被害多し。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、豊後水道を震源とするM8.4の地震があり、それ以降7日間揺れ動いた。その間、山を崩し、樹木を倒し、飛鳥地に落ち、地盤は亀裂し、土路水噴出数十尺も暴騰散乱し、人畜被害多し。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月3日・4日の地震を前触れとして、5日午後4時頃から大地震が襲来した。「塩屋記録」には地震の様子、死者を含めた被害の状況、被災後の人々の様子などが具体的に記されている。また、「村諸日記」にも地震の様子などが記されている。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月3日・4日の地震を前触れとして、5日午後4時頃から大地震が襲来した。「塩屋記録」には地震の様子、死者を含めた被害の状況、被災後の人々の様子などが具体的に記されている。また、「村諸日記」にも地震の様子などが記されている。 続きを読む

慶安2年の地震

慶安2年(1649)3月17日、M7.1の地震により、伊予、安芸、松山、宇和島城崩れる。 続きを読む

慶安2年の地震

慶安2年(1649)3月17日、伊予灘を震源とするM7.0の地震により、伊予、安芸、松山城、宇和島城石垣崩壊。 続きを読む

1 2 3 4