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25件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 伊予市 渇水

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明治6年の水論

明治6年(1873)、下灘村串と喜多山村との水論。(「大洲市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治20年の水論

明治20年(1887)、伊予郡上三谷と下三谷で水論。(「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治24年の水論

明治24年(1891)、伊予郡の上三谷と下三谷で水論。(「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治42年の水論

明治42年(1909)、伊予郡上三谷と下三谷で水論、中村・森・本郡の百姓300人築分池に終結。(「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

大正3年の水論

大正3年(1914)、伊予郡上三谷と下三谷で水論。(「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

大正11年の干ばつ

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大正11年(1922)、南伊予村は大干ばつで、翌大正12年は大水害と2年連続の災害を被った。南伊予村村長の武智惣五郎は、大正12年に大谷川を堰き止めて大谷池の築造を計画した。大正13年に南伊予村外3ヶ村(郡中村、松前町、北伊予村)耕地整理組合を組織し、事業の推... 続きを読む

昭和26年の干ばつ

昭和26年(1951)7月~8月、旱害。中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)6月~9月、旱害により、中南予で果樹などに被害。中山の4ヶ月間総雨量は453ミリを記録し、中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月9日に93.5ミリの雨があった後、10月5日までの87日間、雨らしい雨がなかった。農作物の被害は、水稲、甘藷、栗、柿、みかんの合計で2億8,407万円余に及んだ。双海町では応急対策事業を行った。 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月9日に93.5ミリの雨があった後、10月5日までの87日間、ほとんど雨がなかった。地表は乾燥し、畑作はもちろん水耕、果樹園芸にまで被害が及んだ。農作物の被害は、水稲、サツマイモ、クリ、カキ、ミカン、樹体被害の合計で2億9,307万円余... 続きを読む

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