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156件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 愛南町 風水害

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大正3年の台風

大正3年(1914)9月14日、台風により、金峯神社の大木24株倒れる。 続きを読む

大正9年6月の集中豪雨

大正9年(1920)6月30日夜、集中豪雨となり、午後10時頃に本谷の中腹あたりで山津波が起こり、武者泊は土砂に埋まってしまった。暗闇の中で逃げ惑う人々の中には泥水に押し流される者もあり、大騒動となった。翌日午前3時頃に山津波はおさまり、夜明け頃には集中豪雨も... 続きを読む

大正9年の洪水

大正9年(1920)7月2日、集中豪雨のため、蓮乗寺川は氾濫し、僧都川は至る所で堤防が決壊し、田畑を押し流し、人家を襲った。また、海岸地帯では各所でがけ崩れが起こり、特に大浜では山津波となった。この山津波のため、死者3人を出した。 続きを読む

大正9年の洪水

大正9年(1920)7月29日、大洪水により、田畑の流失68町歩、死者1人。 当時小学校3年生の洪水体験記が「加州幸吉手記」に残されている。大正2年の洪水で川原となった田を5年間かけて復旧したのに、また洪水により濁流が稲田に流れ込み、一家が破産した様子、貧乏暮... 続きを読む

大正9年7月の洪水

大正9年(1920)7月29日、一本松村で大洪水となり、田畑の流失68町歩、死者1人の被害が出た。一本松村では、大正2年(1913)の洪水で被害を受けた田畑を5年間かけて復旧していたが、今回の水害で再び大被害を受けた。 続きを読む

大正9年の豪雨

大正9年(1920)8月、豪雨による大洪水のため僧都川が氾濫し、観栄橋を含むほとんどの橋が流された。城辺でぎおん祭りの斗牛がひらかれていたが、集まっていた人たちが帰るのに、橋が流されて困ったということから、いかに急な洪水であったかが分かる。郡内各地で大きな被害... 続きを読む

大正9年の台風

大正9年(1920)8月15日、台風は四国西部を通過し、瀬戸内海より北東に進路を変え、日本海に出た。南予及び東予で降雨が多く、特に南予の御荘では15日224ミリ、16日247ミリ、17日117ミリの連続降雨に見舞われ、大山津波が起こり、多くの死傷者が出た。(「... 続きを読む

大正9年8月の洪水

大正9年(1920)8月15日、台風が四国西部を通過し、御荘では15日224ミリ、16日247ミリ、17日117ミリの連続降雨に見舞われた。この豪雨のため僧都川が氾濫し、観栄橋など僧都川に架かる橋の多くは流され、濁流は堤防を越えて人家や田畑に大きな被害をもたら... 続きを読む

大正9年の台風

大正9年(1920)8月15日、台風により、東予、南予で降雨多く、御荘では大山津波起こり、多数の死傷者を出した。(「愛媛県史概説」等による) 続きを読む

大正9年8月の台風

大正9年(1920)8月15日昼前から雷雨となり、麦ヶ浦では山は崩れ、川溝は土砂で埋もれるなど大惨事となった。内泊より青年団30人が加勢に来て、土砂の取り除きにあたった。(坂本成之氏の記録による) 続きを読む

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