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117件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市(重信町)

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昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月21日~24日までの4日間、豪雨が降り続き、その雨量は松山で540ミリ、川上で800ミリに達した。この豪雨により重信川は増水し、23日午前9時に北伊予村徳丸の左側堤防が、続いて拝志以下6箇所の堤防が決壊し、濁流は拝志村、荏原村、北伊予... 続きを読む

昭和18年の水害

昭和18年(1943)7月、水害により、主に拝志村が大被害を受けた。昭和18年及び昭和20年の水害により、重信川河口から横河原間19.2kmが県直轄河川工事区間に指定された。 続きを読む

昭和14年の干ばつ

昭和14年(1939)、植え付けは完了したが、その後の旱天続きで、出穂前の水がなく、全然実の入らない田が多かった。 続きを読む

昭和9年の大割泉の水論

昭和9年(1934)8月20日午前2時頃、北野田の農民約80人が大割泉に押しかけ、その泉を守っていた高井の農民3人を袋だたきにして重傷を負わせた。この年は大干ばつで、灌漑水不足のため、8月10日に高井の農民が大割泉に慣習違反の枠を入れて取水したことが原因であっ... 続きを読む

昭和9年の大割泉の水論

昭和9年(1934)8月20日午前2時頃、北野田の農民約80人が大割泉に押しかけ、その泉を守っていた高井の農民3人を袋だたきにして重傷を負わせた。この年は大干ばつで、灌漑水不足のため、8月10日に高井の農民が大割泉に慣習違反の枠を入れて取水したことが原因であっ... 続きを読む

昭和9年の水論

昭和9年(1934)、温泉郡見奈良と畑川、樋口と志津川・西岡、北野田と高井が水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつにより、樋口では40町歩、志津川では80町歩、西岡では50町歩が収穫皆無の大被害を受けた。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

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昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

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昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)春から雨らしい雨が降らず、田は2割2分5厘の歩植えをして雨を待ったが、7月半ばが来ても一滴の雨もなかった。歩植えの田を寄せ水と池水で守ったが、虫の害がひどく十分な作にはならなかった。大旱害の年であった。 続きを読む

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