検索結果

37件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市(重信町) 渇水

年代順で並び替える : |

明治45年の水争い

明治45年(1912)5月、北吉井村で水争いが起こり、警官出動。 続きを読む

大正13年の干ばつ

大正13年(1924)、旱害に見舞われた。池水を使って稲の植え付けはしたものの、その後も雨がほとんどなく、田は干し割れた。枯死寸前の稲に、土瓶で水をかけて回った者もいた。出穂前にひと雨あり、田によっては反当3俵位の収穫はあった。 続きを読む

大正13年の水論

大正13年(1924)、南吉井の牛渕・田窪で水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和5年の水論

昭和5年(1930)、温泉郡北野田と高井が大割泉で水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつにより、樋口では40町歩、志津川では80町歩、西岡では50町歩が収穫皆無の大被害を受けた。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)春から雨らしい雨が降らず、田は2割2分5厘の歩植えをして雨を待ったが、7月半ばが来ても一滴の雨もなかった。歩植えの田を寄せ水と池水で守ったが、虫の害がひどく十分な作にはならなかった。大旱害の年であった。 続きを読む

昭和9年の水論

昭和9年(1934)、温泉郡見奈良と畑川、樋口と志津川・西岡、北野田と高井が水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)、大干ばつにより、樋口では40町歩、志津川では80町歩、西岡では50町歩が収穫皆無の大被害を受けた。 続きを読む

昭和9年の干ばつ

image

昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

image

昭和9年(1934)の干ばつには、菖蒲堰で「大落水」という慣行が行われた。これは、下堰側の5地区で用水が不足して、番水制度を実施しても満たされない時に、上堰の地区に請求して、その分水の一部を受益するというものであった。(「重信町誌」による) 続きを読む

1 2 3 4