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条件:愛媛県 松山市(北条市)
享保17年(1732)3月~6月、霖雨による不作のため、大飢饉。(「松山叢談」による)高田寺谷の光徳院の過去帳によると、享保16年の死者23人が享保17年に83人、享保18年に73人に増加した。 続きを読む
享保17年(1732)5月から7月まで降り続いた雨により、冷夏となり、作物は根腐をおこしはじめ、ウンカの異常発生によって、稲は大半が枯死し、鯨油を散布したり、火を焚いて集まった虫を殺すなどの方法もほとんど効果がなく、飢人は藩庁から支給された粥で露命をつなごうと... 続きを読む
享保19年(1734)、洪水のため、神田、庄、波田で立岩川の土手が切れた。その後も土手が切れるたびに、付近の住民は普請をしたが、立岩川の治水は年貢負担に並ぶ重荷となった。このため、庄屋らは郡普請の対象として工事費の面倒を見てほしいという請願を行った。(「北条高... 続きを読む