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条件:香川県 まんのう町(満濃町)
安政元年(1854)6月14日、讃岐地方に強震があった。この地震で堤防の地盤が緩んだのか、石樋の仕替え普請がずさんであったのか、7月5日午後2時頃、樋外の石垣から水が漏れているのを池守が発見した。翌日から水漏れを防ぐための対策を講じられ、9日には高松・丸亀両藩... 続きを読む
明治15年(1882)8月10日、炭所西片岡の土器川に築かれた薬師堰からの分水をめぐり、長尾側と岡田側の間に紛争が起こった。これは、薬師堰の分水後の水量が少ないことを理由に、長尾側が分水口に石を積んで、分水位をおもじょ岩の基準線よりも高くしたため、岡田側から多... 続きを読む
明治15年(1882)8月23日、うち続く干天のため、水の困窮した綾歌町岡田地区と満濃町長尾地区の百姓が衝突した。両地区に分水する薬師堰には、「おじょも岩」の分水慣行(おじょも岩側面の刻線の高さと堰の水面の高さが水平になるように分水する慣行)があるが、長尾側が... 続きを読む
明治27年(1894)、干ばつのため、135日間降雨が皆無であった。この後も数回干ばつの被害を受け、満濃池では堤防を3尺嵩上げするための工事が明治38年(1905)から翌明治39年1月にかけて行われた。 続きを読む
大正3年(1914)8月、炭所西片岡の土器川に築かれた薬師堰からの分水をめぐり、長尾側と岡田側の間に紛争が起こった。長尾側は薬師出水の暗渠の出口から水門の入口近くまで大石を並べて仮堰を作り、出水の水を長尾側に取り入れようとした。岡田側は、出水の増水分は亀越池の... 続きを読む