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169件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 渇水

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明治26年の干ばつ

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明治26年(1893)、水不足のため、八田と下流9ヶ村が水争いとなり、17人の受刑者を出すに至った。 続きを読む

明治26年の干ばつ

明治26年(1893)夏50日間雨なく、大干ばつ。 続きを読む

明治26年の干ばつ

明治26年(1893)夏、50余日に及ぶ日照りのため、宮ノ川の26人から県に対して種籾料御給与願が出願された。(「宮ノ川区長場文書」による) 続きを読む

明治26年の干ばつ

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明治26年(1893)、水不足となったが、これまでの水争いに疲れていた新改川沿川の村の人たちは、雨乞いをした。この時に持ち上がったのが甫喜ヶ峰(ほきがみね)疏水の計画であった。これは穴内川の水を新改川に引き入れるもので、久礼田や新改の村長などが計画を進め、高知... 続きを読む

明治26年の干ばつ

明治26年(1893)、干ばつ。 続きを読む

明治12年の干ばつ

明治12年(1879)、河水干れ、草木枯死。(「綜合斗賀野村誌略」による) 続きを読む

明治12年の干ばつ

明治12年(1879)、大干ばつにより、尾川川の水が全く涸れ、路傍の草木も枯死した。 続きを読む

明治12年の干ばつ

明治12年(1879)、大干ばつにより、河水が全く涸れ路傍の草木が枯死した。 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)の旱害は、明治6年の2倍3倍にも上った。新改川のコロンボ堰からの分水をめぐり、上流の須江部地区と下流の植田地区の農民が対立した。このため、両地区は県庁に対して配水の措置を誓願した。県は、上流の大釜堰から下流の掘ノ井堰に24時間交代で配水する... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)、日照りが続き、大変な水不足に襲われた。この時、新改川の上下流で水争いが起こった。下流の植田・久次(ひさつぎ)の人々が新改川のコロンボ堰を壊し、コロンボ堰から引水している須江の人たちが修理をするなど、上流と下流の水争いが続けられ、怪我人が出... 続きを読む

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