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73件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 土佐市 風水害

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嘉永2年7月9日の洪水

嘉永2年(1849)7月9日、洪水により、仁淀川の堤防は吾川郡側では新川付近等数箇所で決壊したが、高岡側も決壊した。土佐市高岡町井関の広楽寺の過去帳には「嘉永二年酉七月九日から大しけ、十日夜四つ片(半)から大水、寺板敷より五、七寸上り、家流す」と記されている。... 続きを読む

嘉永2年の台風

嘉永2年(1849)7月9日から大しけで、10日夜四つ半(23時頃)からの大水となり、寺坂敷より5.7寸上がり、家が2軒流れた。(「広楽寺の過去帳」による)仁淀川が、吾川郡側で数箇所決壊したが、高岡側も決壊したのであった。この洪水は「酉の年の大水」と言われてい... 続きを読む

安政2年7月の風雨

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安政2年(1855)7月14日、大風雨、洪水、汐高越堤所々破損。(「御家略記」による)三災録には「14日より風雨となる。潮高く大震の日より2尺高く平和の汐より都合5尺4、5寸高りしという」と記されている。真覚寺日記には「風吹き波高し、四ツ(10時)頃より大時化... 続きを読む

安政4年7月1日の風雨

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安政4年(1857)7月1日、風雨。真覚寺日記には「波大いに高し。五ツ半(9時)頃より大風雨九ツ(12時)前に至り雨止み風穏になる。作物少々宛いたむ。梨15、6程庭木に有之処けふの風に残らず落ちる」と記されている。 続きを読む

安政4年の風水害

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安政4年(1857)7月22日、風水害。「真覚寺日記」には「七ツ半頃より暮合まで大風雨、波荒れ、潮甚だ高く、大変(安政地震寅の大変)以来の大潮なり。21日夜雨止まず少々出水なりという。22日(高知より帰路)西畑川原にて大風雨に遭い積置し藁の陰にて雨を凌ぐ。又高... 続きを読む

安政5年6月の風雨

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安政5年(1858)6月28日~29日、風雨。真覚寺日記には「28日晩方大風雨、波高く風烈しく往来する者なし。畠地物少々傷む、新在家西外山の岸強の波に又崩れ往来の者迷惑する。29日風雨、八ツ時(14時)まで風雨相交り戸をたたく波大いに高し、七ツ(16時)頃より... 続きを読む

安政5年の洪水

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安政5年(1858)7月14日、洪水。「真覚寺日記」には「15日、昨日仁淀川洪水、川上より家流れ来り」と記されている。 続きを読む

安政5年の高波

安政5年(1858)7月28日、風波高く、宇佐の海岸が崩れる。/史料掲載:「地震日記4」 続きを読む

安政6年の高波

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安政6年(1859)7月24日、大風、波大に高く、岩崎の岸また崩れかかる。(「真覚寺日記」による) 続きを読む

万延元年4月の大雨

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万延元年(1860)4月7日~8日、大雨。真覚寺日記には「7日陰天五ツ半(9時)頃又雨、八ツ時(14時)より大雨塊を穿つ。夜中風添う。雨益々甚し。8日大雨終日少しも隙なく降る。本堂の跡の谷水大いに出る。昨年冬岸を築きし以来斯様の出水は今が始なり。夜中同断本堂諸... 続きを読む

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