123件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 土佐市
嘉永2年(1849)7月9日から大しけで、10日夜四つ半(23時頃)からの大水となり、寺坂敷より5.7寸上がり、家が2軒流れた。(「広楽寺の過去帳」による)仁淀川が、吾川郡側で数箇所決壊したが、高岡側も決壊したのであった。この洪水は「酉の年の大水」と言われてい... 続きを読む
嘉永2年(1849)7月9日、洪水により、仁淀川の堤防は吾川郡側では新川付近等数箇所で決壊したが、高岡側も決壊した。土佐市高岡町井関の広楽寺の過去帳には「嘉永二年酉七月九日から大しけ、十日夜四つ片(半)から大水、寺板敷より五、七寸上り、家流す」と記されている。... 続きを読む
安政元年(1854)、南海地震津波により、土佐市宇佐町では家屋がほとんど流失し、70余人の死者を出した。この論文では、宇佐町を対象として、安政級のM8.4の津波を想定した現況港湾施設の安全性について、数値計算により検討を行っている。 続きを読む
安政元年(1854)、南海地震津波により、土佐市宇佐町では家屋がほとんど流失し、70余人の死者を出した。宇佐町は宇佐湾奥の漁村集落であるが、宇佐湾の津波危険度は、宇佐湾の西側に東西12kmに拡がる浦ノ内湾の今度の開発や地形変化によって大きくなる可能性もある。こ... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日午前11時大地震が起こり、津波が7、8度押しよせたが人家までは来なかった。翌5日午後5時頃、未曾有の大地震が発生し、山崩れ、人家倒壊が起こり、人々が救助を求めているところに大津波が襲来した。宇佐村で残った家は60軒で、溺死10余人... 続きを読む