100件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 須崎市 地震・津波
昭和21年(1946)、南海道沖を震源とする地震により、須崎湾は津波の被害を受けた。この論文では、須崎湾を対象として、数値計算を応用した水理模型実験を行うことにより、湾内の津波波形では波のピークが分裂し複数のピークが出現すること、湾口部のはく離によって渦が生じ... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、大地震が発生し、浜町や横町では家の倒壊により11名の圧死者を出した。全壊家屋は130余戸、津波による流失家屋は40余戸に達した。(南海大地震災害誌」による)津波は地震後約10分程で襲来した。浸入した津波の高さは... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時15分、室戸岬東南東約100kmでM8.1の地震が発生した。津波は地震後約10分で第一波を観測し、その後2時間半に6~7回来襲し、第三波が最高で約5mと推定されている。須崎市の被害は死者・行方不明61人、負傷者140人... 続きを読む
昭和21年(1946)、南海道沖を震源とする地震により、須崎湾は津波の被害を受けた。この論文では、須崎湾を対象として、数値計算を応用した水理模型実験を行うことにより、湾内の津波波形では波のピークが分裂し複数のピークが出現すること、湾口部のはく離によって渦が生じ... 続きを読む
昭和21年(1946)の南海地震で、須崎市の家族が衣服を探して身につけているうちに時間が経過し、逃げる途中の老母と子供2人は津波に流されて離ればなれになり、長女が津波の犠牲者になった。(「海からの警告」による)地震後は津波に備えて一刻も早く逃げることを伝えてい... 続きを読む
昭和21年(1946)の南海地震で、須崎市の家族が衣服を探して身につけているうちに時間が経過し、逃げる途中の老母と子供2人は津波に流されて離ればなれになり、長女が津波の犠牲者になった。(「海からの警告」による)地震後は津波に備えて一刻も早く逃げることを伝えてい... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、大地震が起こり、津波が押し寄せてきた。この時には、宝永地震の教訓を生かして避難したので、宝永地震の時ほど溺死者は出なかった。しかし、誤った言い伝えを信じて船で沖に逃げた30余人は命を落とした。(宝永津浪溺死之塚の碑文による) 続きを読む