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66件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 香美市(土佐山田町)

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文化12年の台風

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文化12年(1815)7月6日の晩から9日にかけて大暴風雨となった。物部川上流では濁流が岩をも砕き、矢のように下流に押した。このため、山田堰はもちろん、川尻に至るまで堰は無惨に破壊され、村々は大海となり、家を破り、人を損なうことになった。この大暴風雨は「亥の大... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、地震(M8.4)が発生した。記録(土佐古今の地震、香北町史、高知県天災年表)によると、死者372名、負傷者180名、焼失家屋2,500軒、流失家屋3,200軒、壊家3,000軒、半壊家屋9,000余軒に及んだ。 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)、干天続きで、植田地区の水田が枯死寸前の状態になったため、新改川下流の植田地区の農民は上流の須江部地区の農民に対して、コロンボ堰の分水を迫った。しかし、拒否されたため、両者が数回にわたり、衝突した。御免、山田両警察署は警官十数名を派遣し、鎮... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)、日照りが続き、大変な水不足に襲われた。この時、新改川の上下流で水争いが起こった。下流の植田・久次(ひさつぎ)の人々が新改川のコロンボ堰を壊し、コロンボ堰から引水している須江の人たちが修理をするなど、上流と下流の水争いが続けられ、怪我人が出... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)の旱害は、明治6年の2倍3倍にも上った。新改川のコロンボ堰からの分水をめぐり、上流の須江部地区と下流の植田地区の農民が対立した。このため、両地区は県庁に対して配水の措置を誓願した。県は、上流の大釜堰から下流の掘ノ井堰に24時間交代で配水する... 続きを読む

明治19年の台風

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明治19年(1886)には、8月20日~21日、9月10日、17日、24日と4回の台風が来襲し、物部川の出水がひどく、山田堰の被害も大きかったというが、災害復旧工事の記録は残されていない。 続きを読む

明治25年の台風

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明治25年(1892)7月13日、台風が高知市付近に上陸し、北西進し、物部川沿岸に大きな被害を与えた。また、23日~26日の4日間続いた雨で物部川は大増水した。この洪水で、西岸の三島村(現南国市)久枝井水門の下方より大曲まで約3町(約230m)が決壊し、流失家... 続きを読む

明治25年の洪水

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明治25年(1892)7月23日、大洪水により、山田堰の堰体及び水越が破壊された。(「山田堰」による) 続きを読む

明治26年の干ばつ

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明治26年(1893)、水不足となったが、これまでの水争いに疲れていた新改川沿川の村の人たちは、雨乞いをした。この時に持ち上がったのが甫喜ヶ峰(ほきがみね)疏水の計画であった。これは穴内川の水を新改川に引き入れるもので、久礼田や新改の村長などが計画を進め、高知... 続きを読む

明治26年の干ばつ

明治26年(1893)、干ばつにより、植田地区350石、久次地区80石、須江上改田20余石の田は枯死寸前となった。植田・久次の農民はツイノイ堰(須江本田堰)を破壊しようとしたが、急報により100余名の警官が出動して堰を守り、事なきを得た。この水論を契機に、水争... 続きを読む

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