6件のアーカイブスが見つかりました。
条件:徳島県 美馬郡 風水害
明治16年(1883)9月11日~12日、風雨強く、中晩稲は少々害を被りたりども他の農産物は概して害を被らず。美馬郡よりの報によれば、稲作は2分、雑穀類は1分、甘藷芋塊は2分、蕎麦は1分通。潤雨のために蘇生せり。(「日本気象史料-徳島県報告官報」による) 続きを読む
明治16年(1883)9月11日~12日、風雨強く、中晩稲は少々害を被りたりども他の農産物は概して害を被らず。美馬郡よりの報によれば、稲作は2分、雑穀類は1分、甘藷芋塊は2分、蕎麦は1分通。潤雨のために蘇生せり。(「日本気象史料-徳島県報告官報」による) 続きを読む
明治16年(1883)9月11日~12日、風雨強く、中晩稲は少々害を被りたりども他の農産物は概して害を被らず。美馬郡よりの報によれば、稲作は2分、雑穀類は1分、甘藷芋塊は2分、蕎麦は1分通。潤雨のために蘇生せり。(「日本気象史料-徳島県報告官報」による) 続きを読む
大正元年(1912)9月22日~23日の台風により、吉野川は脇町で増水35尺5寸の前例のない大洪水となった。阿讃山脈では無数の山崩れが起こり、各渓谷では惨状を極めた。脇町では23日未明に町役場の下手より中央橋の下手まで堤防が決壊し、両岸の民家50戸が流亡した。... 続きを読む
昭和29年(1954)8月18日、台風5号により一宇村は全村各所で山崩れを生じ、県下第一の被害を受けた。その復旧の中、9月13日には台風12号、続いて台風15号により、一宇村祖谷山地方一帯で地すべりが起こった。台風12号の襲来直後の新聞報道によると、一宇村の被... 続きを読む
昭和29年(1954)9月13日、台風12号は九州を南から北へ縦断し、大陸に抜けた。四国山脈では南東風が強かったため、異常な豪雨があり、大歩危で572ミリを記録した。このため、吉野川で大洪水となり、脇町の最高水位は14日午前6時~7時頃に11.7mを記録し、脇... 続きを読む