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35件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 那賀町(鷲敷町) 風水害

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徳治2年の洪水

徳治2年(1307)、那賀川の大洪水で和食の満宝寺の伽藍と本尊が流出した。その後、13年経って僧性弁が再興したことを記した薬師如来の裏板文が無量院に残っている。この洪水は阿波国一円であった模様である。(「旧町史」による) 続きを読む

徳治2年6月の洪水

徳治2年(1307)6月中旬、那賀川の大洪水により、和食にかつて所在した無量院の伽藍・本尊が流失した。(無量院の薬師如来像裏板に残る墨書銘による) 続きを読む

天正7年の大水

天正7年(1579)、大水去らざること3日、人畜多く死す。 続きを読む

天正10年の洪水

天正10年(1582)、阿波国大洪水。 続きを読む

天保6年の風雨

天保6年(1835)夏秋の頃、霖雨甚だしく、二百十日は東の風大いに吹き荒れ、後になって西風となり吹き返し、そのため稲毛全部白穂となる。 続きを読む

天保13年の大洪水

天保13年(1842)、大洪水。 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月10日、11日の大雨は前代未聞の大出水を引き起こし、世人はこれを阿房水と命名した。酉の阿房水と言われる。被害を受けた田畑は、被害の多少に応じて2年間年貢を免除された。 続きを読む

嘉永4年の雪解水

嘉永4年(1851)2月、雪解水が押し寄せて材木類がたくさん流れた。小仁宇の庄屋、秋本和三郎の手先で懸け留め置いた材木を多い村(加茂谷)の流水改所へ届け出た文書が秋本家に残っている。 続きを読む

安政4年の八朔水

安政4年(1857)8月1日、大洪水。7月29日夕方から降り出して8月朔日に大洪水となった。事跡は残っていないが、八朔水という言葉は古老の口碑に残っている。 続きを読む

万延元年の風雨

万延元年(1860)8月5日の風雨出水により、小仁宇では田畑、用水溝、井堰に被害が出たが、人畜その他にはあまり被害はなかったらしい。 続きを読む

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