検索結果

17件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市 渇水

年代順で並び替える : |

平成12年の渇水

平成12年(2000)2月25日~3月23日の28日間、渇水のため、阿南市で取水制限。最大取水制限率は工水20%。(国土交通省河川局による) 続きを読む

平成11年の渇水

平成11年(1999)1月16日~3月15日の58日間、渇水のため、阿南市で取水制限。最大取水制限率は工水30%。(国土交通省河川局による) 続きを読む

平成10年の渇水

平成10年(1998)9月6日~19日の13日間、渇水のため、阿南市で取水制限。最大取水制限率は工水20%、農水20%。(国土交通省河川局による) 続きを読む

昭和2年の干ばつ

昭和2年(1927)7月、大正2年以来の稀にみる大旱天で、7月16日より1週間荒田野村喜来の釜神社で祈祷が行われ、敬講社が結成された。 続きを読む

大正12年の干ばつ

大正12年(1923)8月、干天が30余日となり、稲作にかなりの被害を与えた。 続きを読む

大正4年の干ばつ

大正4年(1915)、旱天となり、8月13日より3日間、荒田野村喜来の釜神社で雨乞い祈祷会が催された。この時には幸いにも降雨をみたので、村長から神主に感謝状が贈られた。 続きを読む

大正3年の干ばつ

大正3年(1914)、旱害により、新野町では豊田区域で田57町余、荒田野区域で田7町余、畑2反余、甘枝区域で田45町余の合計110町余が被害を受けた。 続きを読む

大正2年の水争い

大正2年(1913)8月、高井堰の用水が不足し、水田に亀裂をきたす状態になったのを見かねて、藤ヶ井堰の余裕水を供給しようとした。しかし、藤ヶ井堰からの供給は、森国堰と利害相反することとなり、三つの井関関係者間に水争いが起き、富岡警察署長立ち会いのもと、ようやく... 続きを読む

明治27年の水争い

明治27年(1894)、大干ばつのため、7月19日午前1時頃、竹原堰の下流にある大井手堰の組合員千人余が舟路の浚渫という名目で、竹原堰を縦断して400間にわたり幅5間、深さ3尺の水路を作り、竹原堰の水を横取りした。このため、翌20日には大井手堰と竹原堰の両組合... 続きを読む

明治27年の水争い

明治27年(1894)5月から8月まで雨量が少なく、夏季に記録的な高温が続いたため、各地で水争いが生じた。那賀川北岸では、大井手用水の渇水がひどく、7月19日に千余名が舟路を開削すると称し、延長2,400mの川ざらえを行い、南岸の堰を掘り切った。このため、20... 続きを読む

1 2