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370件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 三好市 風水害

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慶応2年の台風

慶応2年(1866)、馬路川で大洪水。佐野で数戸が流失した。馬路川の井堰は悉く流れて、翌春に若鮎が佐野まで遡上した。(「馬路川洪患志」による) 続きを読む

安政4年の洪水

安政4年(1857)7月29日4ツ時から吹き出して、8月朔日朝5ツ時まで大風雨が打ち続き、50年来の大洪水ということから「八朔水」と言い伝えられている。中村浜から野津後島一帯の辻町の家に浸水があった。 続きを読む

安政4年の台風

安政4年(1857)、大風により、周囲1mの桐の木が根こそぎ引き抜かれ、家屋が吹き飛ばされるなどして、池田などでは倒壊家屋が10軒以上もあったという。古老の話によると、松尾村方面ではこの時の風が格別強く、宮石等では倒壊家屋も多かったという。 続きを読む

安政4年の洪水

安政4年(1857)、吉野川で大洪水。八朔水。(「馬路川洪患志」、「佐馬地村史」による) 続きを読む

安政4年の風雨

安政4年(1857)、風雨により、池田で倒れた家が10軒以上もあったという。(「三好郡志」による)八朔水。(「馬路川洪患志」による) 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月10日から11日にかけて、大風雨、大洪水のため、辻町内は大浸水の害をこうむったが、人畜の害はなかった。これは「阿房水」と呼ばれている。なお、足代の教法寺の古文書によれば、阿房水の時には上郡川筋では余程の損害があり、山分の死者は250人に... 続きを読む

嘉永2年の阿房水

嘉永2年(1849)7月10日、阿房水。(「馬路川洪患志」による)三好郡内では死者250人。(「三好郡志」による) 続きを読む

嘉永2年の豪雨

嘉永2年(1849)、豪雨があり、七日七夜降り続いたため、東馬場上方の大佐古山で山潮が起こり、丸岡(まろおか)に向かって走り、幅8軒(14m余)にわたり畑が押し流されたと言われる。 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)、吉野川で大洪水。あほう水。(「馬路川洪患志」、「佐馬地村史」による) 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)、吉野川で大洪水。馬路川洪患志によると、「天保十三年の洪水で北名の馬谷は土砂を押し出し数戸の家屋を埋め、水路は北名の北がわをまわって住吉の下に流れた。馬路川の堂床の大木は山津波と共に押し流されて土居の田の中に立ち、宮の谷の洪水は土砂を流し... 続きを読む

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