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132件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 土佐清水市

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大正9年の洪水

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大正9年(1920)8月15日、大雨のため、下の加江川流域は一面の泥海となり、田畑はほとんど砂れきの原と化した。とりわけ永野堰から小方堰にいたる堤防が50余間決壊したため、60余町歩が一夜にして荒野原となった。市野々地区では30余町歩が砂れきのはらとなり、全戸... 続きを読む

大正9年8月の洪水

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大正9年(1920)8月15日の豪雨のため洪水となり、下ノ加江長野では堤防を決潰、道路を破壊し、田園は荒蕪、下ノ加江川流域はほとんど沙磧と化した。このため、部民相会して復興の議を決し、耕地整理組合を組織し、大正10年1月に起工、昭和4年1月に竣工した。8ヶ年に... 続きを読む

大正9年の洪水

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大正9年(1920)8月15日午後3時頃より雷鳴、降雨ともに甚だしく、雨粒は大豆粒以上で、雨というよりは水を注ぐが如くであった。この大雨が2、3時間継続したため大洪水となり、各地で被害が発生した。死者は幡多郡で172人、下川口村で9人であった。村内の下川口郷・... 続きを読む

大正9年8月の洪水

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大正9年(1920)8月15日朝から降雨、午後に豪雨となり、夜半に三崎川の増水12尺に及んだ。堤防の決壊延長は2,330間、海岸の家屋は皆浸水し、水田は沙礫の荒原と化した。人々は相会して荒廃地を踏査して9月に工事設計を行い国庫補助申請し、大正10年4月に堤防復... 続きを読む

大正9年8月の洪水

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大正9年(1920)8月15日正午頃より大きな雷鳴とともに雨が甚だしく降り、午後10時頃には宗呂川など各河川は大洪水となり、山は崩壊、道路堤防は決潰、田園は荒蕪に帰し、人畜の死傷、船舶の破損流失など夥しかった。被害は溺圧死者14人、馬溺死6頭、田156町歩、畑... 続きを読む

大正9年の洪水

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大正9年(1920)8月15日、大雨により、下の加江川流域は一面の泥海となり、田畑はほとんど砂礫の原と化した。特に永野堰より小方堰に至る堤防が50余間決壊したため、60余町歩が荒れ地となった。また、市野々地区では30余町歩が砂礫の原となり、全戸が浸水し、このう... 続きを読む

大正9年の洪水

大正9年(1920)、三崎川洪水。三崎川は、今ノ山の南面斧積谷からの流れと西の十八川の流れを行者山のすそに併せて三崎浜に注いでいたが、この洪水を契機として河川の変更が計画され、昭和11年に千尋崎西側の竜串側に付け替えられた。(写真集土佐清水写真6枚) 続きを読む

大正3年の台風

大正3年(1914)9月14日、台風により、幡多郡では家屋の全壊1,152戸、半壊821戸、中村で死者3人、負傷者3人、宿毛漁船遭難により死者11人、行方不明15人。伊豆徳島村では家屋の全倒103戸、半倒18戸、大破72戸。(「溝渕素江手記」による) 続きを読む

大正3年の台風

大正3年(1914)9月、台風により、倒壊13戸、半壊18戸、大破72戸。 続きを読む

大正3年の桜島噴火

大正3年(1914)1月12日夜、点灯後に戸や障子ががたがたと鳴り出した。やがて音は小さくなったが鳴りやまず、海軍の演習だという者もあり、遠い所の地震だという者もあった。翌13日朝になっても音は鳴りやまず、午前9時頃になって桜島噴火の報せが駐在巡査のもとに来た... 続きを読む

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