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114件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市 風水害

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慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月1日から昼夜を分かたず降り続いた大雨は、7日夕方ついに未曾有の大洪水となった。これが今も洪水史に残る「寅の水」である。徳島市国府町の蔵珠院には、洪水痕跡が残されている。茶室や板戸に残された染みは床上浸水2尺に及び、被害状況を記録した過去... 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)8月5日より3日間、豪雨が降り続き、吉野川は増水して各所で決壊し、川内村では低い所で床上2、3尺、高い所で天井に達する浸水となった。中財家は、舟で近傍40人程を収容、救助した。また、榎瀬村土佐渡の付近の堤防が決壊し、300石の大船が元天神社... 続きを読む

慶応2年の鉄砲水

慶応2年(1866)8月、寅の鉄砲水により、高128,660石、死者2,140人の被害を受け、吉野川下流の村々は1丈(約3m)以上の浸水となった。 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)7月1日朝から降り出して、3日目には大雨となり、川々は増水を始め、7日夕には古来稀なる大水となった。西貞方では堤防が崩壊して、1丈有余の水嵩となり、倒家多く、圧死が10人に達した。東貞方では圧死・溺死7人、中原では別宮八幡前の堤防の上を越す... 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)8月7日、「寅の水」と言われる洪水。徳島市国府町の蔵珠院の板戸には洪水痕跡が残されている。同寺の過去帳によると、痕跡は座上2尺で、檀家32人が溺死したという。山門前には洪水痕跡碑が建立されている。 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)7月末から8月初めにかけての吉野川の大洪水は、「寅の水」と言われ、讃岐山脈の裾野から四国山地の裾野まで見渡す限りの水面であったという。徳島市国府町の蔵珠院に水害の記録と痕跡が残されている。同寺の過去帳には、国中で37,020人の男女や牛馬な... 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)、寅年の大水。北井上村井戸の河野石見所蔵の記録によると、流失家屋1,903軒、死者2,040人、牛死1,700頭であった。 続きを読む

慶応2年の洪水

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慶応2年(1866)、吉野川で大洪水「寅の水」が発生した。国府町芝原の蔵珠院の過去帳によると、芝原第十の堤防が全壊し、当院の檀家32人が亡くなった。また、院内の板襖や壁には当時の痕跡が残っている。蔵珠院前には寅の水の痕跡水位を示す標柱と石碑が建っている。 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)夏、連日の豪雨により園瀬川は大洪水となり、園瀬橋付近北岸の堤防から決壊し始め、4ヶ村用水下井利付近まで約50間破堤した。人家8戸流失し、死者20余名を出し、非常な惨状を呈した。また、付近一帯の大坪・新貝の田んぼは土砂により埋没し、住民は非常... 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)夏、連日の豪雨により園瀬川は大洪水となった。園瀬橋付近北岸の堤防から決壊し始め、約50間破堤した。多数の死者を出し、大坪・新貝の田んぼは土砂で埋没した。寅年の洪水と言われる。 続きを読む

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