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83件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 海陽町(海南町)

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明治25年の保勢の崩壊

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明治25年(1892)7月25日午後2時頃、保勢が崩壊して、海部川を堰き止めた。崩壊により北岸の山麓にあった3家族11人及び山稼ぎ36人、馬3頭が家屋とともに生き埋めになった。堰き止めによってできた自然ダムの決壊日時は、同年7月31日の徳島日日新聞の記事により... 続きを読む

明治25年の保瀬の崩壊

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明治25年(1892)7月、豪雨により、海南町保瀬で大崩壊が起こり、47人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む

明治24年の洪水

明治24年(1891)8月16日、洪水によりかねてから憂慮していたように人家及び農作物に大きな被害が出た。(池内徳蔵「諸経歴概要記」による) 続きを読む

明治23年の洪水

明治23年(1890)9月、洪水により海部川左岸の川東・川西両村で浸水家屋175戸、冠水田畑256町歩という被害が出た。これは、海部川右岸の奥浦村民が悲願としていた奥浦大堤防が完成した直後のことであり、かねて奥浦大堤防が対岸に水害を招くことを心配していた川東村... 続きを読む

明治11年の洪水

明治11年(1878)9月3日、大雨により海部川で出水。水嵩が堤天よりも高くなり、吉野村の堰堤が大決壊。 また、9月20日にも再度出水し、吉野村字前川原堤防が大決壊。(「川東村史材料調査書」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日、南海地震が発生した。この冊子には、松茂町の春日神社「敬渝碑」、徳島市の蛭子神社「百度石」、佐那河内村の長願寺「扁額」、小松島市の豊浦神社「石碑」、阿南市椿の八幡神社「常夜灯台石」、那賀町谷内の妙法寺「庚申塔」、美波町志和岐の「震... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日、M8.4地震、津波。(「宿命の浅川港」による)なお、この年の11月27日に、嘉永から安政に改元されたため、嘉永7年の地震は通常、安政地震と呼ばれる。 浅川天神社境内にある安政地震の碑には、11月4日午前8時頃地震が起こり、10... 続きを読む

嘉永元年の火災

嘉永元年(1848)9月12日夜、浅川浦より出火、38戸、納屋18戸、計58戸焼失。(「海部郡誌」による) 続きを読む

嘉永元年の火災

嘉永元年(1848)9月12日夜、浅川浦より出火し、家数38軒、納屋18軒、合計56軒を焼失した。(「海部郡誌」による) 続きを読む

嘉永元年の火災

嘉永元年(1848)9月12日夜、浅川浦より出火、38戸、納屋18戸計58戸焼失。(「海部郡誌」による) 続きを読む

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