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494件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市

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大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水。当時7歳の人が書いた手記が掲載されている。この手記には、洪水時に流木や牛が流れていた様子や、小学校の教室の壁には浸水の跡が残っていたこと、洪水後の稲刈り中に流された死者が田んぼで発見されたこと、洪水後に那賀川改修工事が要... 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月30日、前日来の暴風雨により、那賀川、岡川が氾濫し、那賀川筋は横見で120間、柳島で100間、岡川筋は柳島南別当で30間にわたり堤防が決壊した。稲作はほとんど皆無に近く、田地の荒れ地は100町余となり、溺死者数名を出した。 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、前日来の暴風雨が洪水を引き起こし、その夜は水量が2丈5尺に及んだ。西原以東中島の堤防はうねりにうねって危なく見えたが、急に減水したため、格別の被害はなかった。翌朝になって、この減水は、上流対岸の柳島、横見、下大野の破堤の結果であ... 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により集中豪雨となり、福原で408ミリを記録した。那賀川の最高水位は古庄で6.2mに達し、右岸の中野島村、大京原で被害が大きかった。また、江野島・色ヶ島の大手海岸の砂浜や松原は高潮により流失した。この洪水は、大正元年(191... 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月29日、台風により那賀川の水量は2丈5尺に及んだ。古毛では堤防の上から手が洗えるほどまで増水し、下の方の堤防が切れかかったので、地元の人々が全力を挙げて堤防に杭を打って守った。堤防はうねっていたが、右岸側の破堤により、間もなく左岸側の水... 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、暴風雨による洪水のため、全壊5戸、半壊26戸、浸水22戸であった。 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日、徳島の気圧731.9ミリバールの台風接近。暴風雨により那賀川大洪水。古毛・岩脇・古庄方面は水高2丈5尺(約7.6m)で堤防決壊が懸念されたが、対岸の村々の堤防決壊により災難を免れた。 続きを読む

大正7年の大火

大正7年(1918)1月12日午前2時、馬場から出火し、近隣に類焼して7戸が全焼し、午前7時に鎮火した。原因は提灯の火であったと言われている。地元はもちろん隣村・福井・椿・桑野の消防車も消防活動に加わった。火災罹災救助金が交付された。 続きを読む

大正7年の火災

大正7年(1918)、椿で山火事。 続きを読む

大正7年の火災

大正7年(1918)、椿泊で山火事。 続きを読む

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