検索結果

385件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 須崎市

年代順で並び替える : |

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日、大地震が起こり、津波が押し寄せて400余人の溺死者を出した。(宝永津浪溺死之塚の碑文による) 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日、大地震により津波が起こり、須崎で400余人が溺死した。この惨禍を後世の教訓として碑に残したのが「宝永津浪溺死之塚」である。この碑は130年忌の法用を営み改葬するに当たって、須崎郷浦の世話人によって計画が進められていた折に安政地震... 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日正午頃、M8.4の大地震が起こった。土佐藩から幕府への訴えによると、損害高は家屋流失11,167軒、潰家5,608軒、死者1,844人、死牛馬548疋、損田45,170戸石余等に及んだ。須崎の被害は、「須崎八幡宮木札」によると、損... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日午後0時30分頃、紀伊半島沖を震源とするM8.4の地震が起き、大津波が伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸及び大阪湾、瀬戸内沿岸等を襲った。被害は高知県が最大で、浦戸湾の湾口部の種崎は全滅し死者700余人、宇佐で400余人、福島で10... 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日、地震が起こった。須崎市糺町の宝永津浪溺死之塚には、溺死者400人余と記されている。また、須崎八幡宮の木札には、宝永地震で流失した八幡宮の御輿が伊豆まで流され、返してもらったことなどが記されている。さらに、大善寺大師堂と津野神社入... 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日午前10時頃、大地震が起こった。山々は崩れ、大地は割れ、潮水はあふれ出て、人家は倒壊し、山里の者は崩れた土砂や岩石に打たれ、死傷する者数知れず。午後2時頃より大潮が到来し、人家は悉く流れ、死者はいかだを組んだ有様であった。大潮... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)、M8.4の地震が起こった。平成6年に須崎で開催された歴史地震研究会の報告によると、宝永地震の時に神田の諏訪神社付近では15~18mの津波が押し寄せたという。また、津波高は押岡の馬頭観音で12m、吾桑の鯛の川で10.7m、多ノ郷の川の内と和... 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)、M8.4の地震が起こった。平成6年に須崎で開催された歴史地震研究会の報告によると、宝永地震の時に神田の諏訪神社付近では15~18mの津波が押し寄せたという。また、津波高は押岡の馬頭観音で12m、吾桑の鯛の川で10.7m、多ノ郷の川の内... 続きを読む

宝永元年の風水害

宝永元年(1704)7月1日、風水害。御家年代記によると、損耗地高8万石。 続きを読む

元禄12年の高潮

元禄12年(1699)12月、高潮により汐留堤が切れる。 続きを読む

1 31 32 33 34 35 36 37 38 39