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嘉永6年(1853)5月から8月に至る90日間、雨が降らず、諸村では飲料水が欠乏し、尾開村(市場町尾関)などでは、吉野川より牛で飲料水を運ばなくてはならなかった。作物は種子さえ採取できなかったという。(滝よし子) 続きを読む
嘉永6年(1853)5月、50石にある除け堤が100m崩れ、周辺に大きな被害があった。流岡町鹿隈橋の下の除け堤は、洪水の時、本流である財田川から資料の竿ノ川への逆流を防ぐために、合流地点(50石)につくられたものである。(写真1枚) 続きを読む
嘉永6年(1853)5月17日から18日にかけて大雨が降り、木浦村では所々の川土手が切れて、特に持越、福浦、洗足あたりの田が砂に埋もれ、和田谷3箇所で土砂崩れが起こり、家が倒壊して死傷者がかなり出たという。 続きを読む
嘉永6年(1853)5月18日より8月2日まで、雨なし。(「新居郡誌」による)/7月9日、宇和馬場で千人踊りを行い、雨を祈った。(「伊予風水害小史(宇和島覚書)」による) 続きを読む
嘉永6年(1853)5月18日より8月2日まで、干ばつ。8月3日、大風雨、田畑等を損害し凶年なり。(「新居郡誌」による)/7月9日、宇和馬場にて千人踊りをなし雨を祈る。(「宇和島覚書」による) 続きを読む