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大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水。当時7歳の人が書いた手記が掲載されている。この手記には、洪水時に流木や牛が流れていた様子や、小学校の教室の壁には浸水の跡が残っていたこと、洪水後の稲刈り中に流された死者が田んぼで発見されたこと、洪水後に那賀川改修工事が要... 続きを読む

大正7年の山崩れ

大正7年(1918)8月30日、姥ヶ谷部落の裏山山腹崩壊により、1戸倒壊、2名死亡。(「柳瀬部落誌」による) 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月30日、大洪水、木材流失他被害甚大。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月30日午前2時すぎ、暴風雨により、大阪から中国大連に向かっていた愛宕山丸(3,946トン)が志度町小田釜居谷の岩礁に座礁した。 続きを読む

大正7年8月の洪水

大正7年(1918)8月29日、大水により鹿老渡橋流失する。 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により、日雨量は福原408ミリ、朴野335ミリ等を観測した。このため、那賀川は大洪水となり、最高水位(宮浜で20.6m、古庄で6.2m)に達した。 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日~30日、暴風雨により全島各所の堤防護岸損壊、橋梁落下、家屋倒壊、浸水、田畑流失、船舶の覆没等損害大。特に北浦、淵崎の被害が最も多く、両村のみで死者8人、負傷者数人を出した。 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日から30日にかけて、暴風雨により生比奈村の堤防が決壊し、住家の流失1戸、倒壊18戸、半壊18戸、床上浸水91戸、床下浸水40戸、田畑の流失・埋没21町歩、冠水42町歩、県道の決壊・埋没9箇所140間、橋の流失8箇所、川舟の流失2隻... 続きを読む

大正7年8月の台風

大正7年(1918)8月29日から30日に台風襲来し、西村地区では日方の久徳橋が流失、各河川氾濫、田畑、道路が損壊した。内海地区では8つの橋が流失した。渕崎では死者8人、負傷者多数出る。 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)8月29日~30日及び9月14日に2回にわたって台風が襲来し、池田あたりでは大亀橋が墜落し、川の沿道は一面の泥海となった。天満川堤防は全部氾濫し、葛谷川の水流により沿岸道路は全部決壊した。大正元年の洪水の時よりも水位が1尺5寸(45cm)高... 続きを読む

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