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慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、東海、南海、西海の諸道地大いに震い、大津波を伴い、土佐及び阿波宍喰にて、溺死するもの多し。(「大日本地震史料」による)当地域に関する文献はないが、当然相当の影響があったと推測される。 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、大地震。(「南海大震災誌」による) 続きを読む

慶長9年の地震

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慶長9年(1604)12月16日、地震が起こった。佐喜浜の談義所(今の大日寺)にいた僧侶暁印は、この時の見聞記録を残している。この「暁印の置文」によると、16日夜、大地震が起こり、大津波が押し寄せ、崎浜では50人余、東寺・西寺の浦々では400人余、甲浦では... 続きを読む

慶長9年の南海地震

慶長9年(1604)12月16日、南海道大震(M7.9)。「僧暁印置文」及び山内家「豊公紀」に被害記録詳細。梼原町史には天災怨恨節、茶堂由来がある。 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、大地震があり、夜半津波が起こったが、羽根には潮は入らなかった。 続きを読む

慶長9年の地震

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慶長9年(1604)12月16日夜、地震が発生し、津波により浦々破損滅亡した。崎の浜でも50人ほど流死した。山田之庄郷の山田助右衛門という侍は夫婦息子ともども波に取られて朝の露と消えた。西寺・東寺の麓の浦でも400人余が死んだ。また、甲浦では350人余、宍喰で... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、大地震があった。当時は山内一豊が入国して間もない頃で記録がなく、後年谷泰山、奥宮正明などの筆記によるものがあるに過ぎない。安芸郡から東部の被害が甚だしく、死者も数百人にのぼったとのことであるので、かなりの大震災であったに違... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、房総半島沖と土佐沖の二箇所を震源とするM7.9の地震が起こった。佐喜浜に来ていた讃岐の僧・阿闍梨暁印の記録によると、津波のために佐喜浜で50余人、室戸岬・行当岬方面で400余人、甲浦で350余人、徳島県の宍喰で3,860余... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、大地震が起こり、その夜半津波が起こった。甲浦では死者350余人、野根には潮が入らなかった。佐喜浜では死者50余人、岬付近では死者400人程であった。奈半利では、津波のため善照寺付近には家が一軒もなかったと記されている。 続きを読む

慶長9年の地震

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慶長9年(1604)12月16日、地震、津波が起こった。「南路志」によると、「暁印の置文」では16日夜、大地震が起こり、大津波が押し寄せ、崎浜では50人余、東寺・西寺の浜分では400人余、甲浦では350人余、宍喰では3,806人が死んだが、野根浦は汐も入らず不... 続きを読む

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