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元暦元年の洪水

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元暦元年(1184)5月1日、大洪水のため、満濃池の堤防が決壊した。この時以降、満濃池は修築されることなく、池地には池内村と呼ばれる集落ができた。(「矢原家実記」による) 続きを読む

元暦元年の大雨

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元暦元年(1184)5月1日、大雨により満濃池の堤防が大決壊し、山津波となって金倉川流域一帯に大被害を与えたと伝えられている。 続きを読む

元暦元年の洪水

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元暦元年(1184)、洪水のため満濃池の堤防が決壊した。その後、乱世のため復旧されず、時が経つにつれて人が住みついて、池内に集落ができ、それを池内村と言うようになった。寛永5年(1628)に西嶋八兵衛によって満濃池の堤防が復旧されるとき、池内村は池外に立ち退き... 続きを読む

治承4年の水争い

治承4年(1180)夏、池田庄の名主公文源治と肥土庄の神人花安男との間で、梳原で用水をめぐって論争が起こり、花安男が殺される事件となった。これにより、二の宮と呼ばれる肥土山離宮八幡神社の創建につながったという。 続きを読む

治承4年の水争い

治承4年(1180)夏、池田庄の名主公文源次と肥土庄の神人花安男との間で、梳原(肥土山石原)で用水のことで論争が起き、それが原因で花安男が殺された。このことがもとになって、池田と肥土山の地堺に八幡宮が創建され、富丘八幡宮を一の宮とし、この宮を二の宮と呼んだ。こ... 続きを読む

仁平3年の干ばつ

仁平3年(1153)、干ばつにより、阿波、土左等7国稔らず。(「台記」による) 続きを読む

仁平3年の干ばつ

仁平3年(1153)、「京畿旱諸国異損あり」(「日本凶荒史考」による)とされ、翌年の久寿元年(1154)「去年稼穡登らざるを以て租を免ず」(「阿波志」による)とあり、仁平3年は阿波でも旱害であったことが分かる。 続きを読む

仁平3年の干ばつ

仁平3年(1153)、干ばつにより、阿波、土佐等7国稔らず。(「台記」による) 続きを読む

仁平3年の干ばつ

仁平3年(1153)、干ばつにより、阿波、土左等7国稔らず。(「台記」による) 続きを読む

仁平2年の大火

仁平2年(1152)、菅生山大宝寺で大火、全山焼失。(「六宝寺縁起」による) 続きを読む

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