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昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月12日から10月26日の雨量は96ミリ(宮浦中学校調べ)と少なく、農作物の損害は4多く6,000万円に上った。干害応急対策事業、天災融資等の資金の貸し付け、町税の減免措置などが行われた。(「広報大三島」による) 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月11日から10月5日までの86日間で、雨が54.2ミリしか降らず、ひどい干ばつに見舞われた。主幹作物のみかんが全地区とも枯死寸前の状態となった。井戸の新設、ポンプの増設等は国・県の補助対象となり、応急対策費は168施設1,800万円余... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月10日から10月5日までの85日間、西日本を中心に記録的な干ばつとなった。みかんは8月下旬頃から葉が巻き始め、いわゆる菊みかんと呼ばれる肌の凹凸のみかんとなった。スプリンクラー等のかん水施設を急設し、農家は昼も夜もかん水作業に追われた... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月10日~10月5日、干ばつ。 続きを読む

昭和42年の豪雨

昭和42年(1967)7月10日、豪雨による洪水のため、大洲地点で水位4.00m、流量1.868立米/秒となった。大洲市の総雨量は124.0ミリであった。被害は浸水農地210ha、宅地・その他203ha、家屋の床上浸水176棟、床下浸水531棟に及んだ。 続きを読む

昭和42年の台風7号

昭和42年(1967)7月10日、台風7号が梅雨前線を刺激したため、四国各地に局地的な豪雨をもたらした。那賀川上流では9日6時ころから本格的に降り始め、夜半に時間雨量50~90ミリを記録した。梅雨前線による降雨のため那賀川上流の長安口堰堤では9日0時より放流を... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月10日から10月4日まで降雨がなく、異常な干ばつに見舞われた。水稲、野菜などには比較的被害が少なかったものの、みかんに被害が続出した。樹体が枯死するまでには至らなかったが、栽培面積920haのうち70.2%の646haが被害を受けた。... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

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昭和42年(1967)7月10日~10月5日まで、中島町では降雨が全くなかった。みかんは栽培面積1,442haのうち77.5%の1,195haが被害を受け、被害額は5,084万円余に達した。島では水源確保のための井戸掘り、送水のためのパイプの敷設等の努力が重ね... 続きを読む

昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)7月10日から10月5日まで87日間、一粒の雨もなかった。蜜柑はやがて落葉し、枯死するものが続出した。10月3には干害非常事態宣言をして対策本部を設立した。 続きを読む

昭和42年の洪水

昭和42年(1967)7月10日、前線により、那賀川で洪水。流域平均2日雨量(古庄上流)299ミリ、ピーク流量(古庄地点)4,273立米/秒。(建設省徳島工事事務所) 続きを読む

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