2169件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 土砂災害
昭和51年(1976)9月11日、台風による豪雨のため、木頭村久井谷の新九郎山(標高1,635m)が崩壊し、平では土石流により6人が生き埋めになる惨事となった。 続きを読む
昭和51年(1976)9月11日~12日、台風17号による集中豪雨のため、小豆内海・大川白鳥で山崩れ、地すべり。県下で死者38人、行方不明12人、重軽傷82人、家屋の全壊183戸、半壊197戸、被害総額推定477億円。 続きを読む
昭和51年(1976)9月8日から13日にかけて、台風17号の影響で四国地方は記録的な大雨を観測した。11日には内海町で日雨量790ミリ、20時~21時の時間雨量94ミリを記録し、累計雨量が1,000ミリを突破した。このため、11日午前3時までに急傾斜地が多い... 続きを読む
昭和51年(1976)9月8日から13日まで、台風17号により降り続いた雨で、日早では総降水量2,718ミリ、最大日降水量1,114ミリを記録した。木頭村誌によると、北川平地区では大崩壊により犠牲者が出るとともに、家屋の全壊2戸、半壊1戸、出原地区では浸水家屋... 続きを読む
昭和51年(1976)9月12日、台風17号により鏡川が増水し、河川敷内の不当建築物が流路をふさいだため南岸の旧堤防が決壊、鴨部地区で大きな被害を出した。また、円行寺の大谷山崩壊により、民家8戸が全壊したが、住民は無事であった。(写真2枚) 続きを読む
昭和51年(1976)9月12日、台風17号が鹿児島県屋久島付近で足踏みし、豪雨が数日にわたり記録的な豪雨となった。南国市内では白木谷・蒲原の山崩れ、奈路杖谷・才谷の青谷の亀裂や地すべり、稲生承水溝の決壊などにより、野田、後免、朝日町、西野々、片山、稲生など舟... 続きを読む
昭和51年(1976)9月12日、台風17号は吾北村に総雨量1,476ミリ、1日雨量505ミリの豪雨をもたらした。被害は住家の全壊4棟、半壊・浸水67棟、非住家損傷45棟に及ぶとともに、連日の豪雨のため村内各所で大規模な地すべりが起こり居住不能世帯が36世帯に... 続きを読む
昭和51年(1976)9月12日午前9時、台風17号は屋久島の南西海上から北北東に進路をとり、13日に山口県の日本海川に抜けた。鏡村では8日から13日までの6日間、雨が降り続き、総雨量は1,835ミリに達した。鏡ダムでは12日に時間雨量96.5ミリを記録し、異... 続きを読む
昭和51年(1976)9月、台風17号が鹿児島県南西海上に停滞し、木頭村では9月8日から6日間大雨が降り続き、総雨量は2,782ミリを記録した。台風が去った直後、13日午後1時30分頃、突如西ノ谷が崩壊し、膨大な土石流が平集落の大半を埋めた。この災害で木頭村で... 続きを読む
昭和51年(1976)9月13日午後2時頃、台風17号のよる豪雨のため、木頭村北川平地区で土砂崩れが起こり、6人が犠牲となった。この平地区の土砂崩れに関する記録は、木頭村立北川小学校の6年生5人が地元の人からの聞き取りや新聞記事などを参考にして、卒業記念研究と... 続きを読む