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2169件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

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明治26年の台風

明治26年(1893)10月14日、台風による豪雨は、歌仙村では山岳崩壊や菊間川の決壊などにより、川上で田畑の流失30町余、家屋の流失2戸、橋梁全て流失、松尾で家屋の流失11戸、高田で家屋の流失5戸、馬1頭圧死、田の流失9町、浸水14町余、池原で田の埋没14町... 続きを読む

明治28年の台風

明治28年(1895)8月22日、台風により木之内の神宮寺山麓、半田川岸が大崩壊、道路不通。(「徳島県史」による) 続きを読む

明治30年の土砂崩れ

明治30年(1897)9月29日午後9時~10時頃、大水により家屋裏の山畑が長さ2間、幅3間、厚さ1間程崩壊し、土砂が屋根を打ち抜いた。祖谷川で取った魚を囲炉裏で焼いて団らんを楽しんでいた家族5人が犠牲になった。 続きを読む

明治30年のがけ崩れ

明治30年(1897)9月29日、台風により、西祖谷山村閑定でがけ崩れが起こり、被害は死者5人、家屋全壊1戸に及んだ。(吉野川上・中流域の主な土砂災害による) 続きを読む

明治32年の水害

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明治32年(1899)の別子銅山の大水害に際して、医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得た。(「新居浜史談」による)明... 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)7月8日、9日、暴風雨により、吉野川大洪水。県西地方では「銅山川流れ」あり、県下農作物は3割2分の減収となった。阿波郡では日開谷川で決壊数箇所、麻植郡牛ノ島では堤防が決壊し江川が吉野川本流となり、浦庄、高原、高川原等は海のようになったとい... 続きを読む

明治32年7月の台風

明治32年(1899)7月8日14時、台風が鹿児島を、9日6時に佐田岬を通った。仁淀川中流では7日~9日の3日間雨量が900ミリ近くになり、洪水により死者多数を出した。戸波村誌には「大風雨出水、仁淀川は中島堤の決壊により、流家13戸、死者19人」と、立田村誌に... 続きを読む

明治32年8月の台風

明治32年(1899)8月28日午後、台風が九州南西部をかすめて愛媛県から鳥取に抜けた。愛媛県では別子銅山の崩壊によって512人の死者を出したほか、河川氾濫で150人ほど、香川で340人、高知で36人の死者を出した。徳島県では剣山周辺の雨量が200ミリを越した... 続きを読む

明治32年の豪雨

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明治32年(1899)8月28日、豪雨により、別子山で山津波が起こり、死者が600人近くに及ぶなど大きな被害が出た。この稿には、角石原付近、風呂屋谷方面、目出度町方面などで筆者が目撃した被災状況等が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、別子を直撃した暴風による大雨は、工場等の施設・人員に未曾有の大災害を蒙らせ、別子鉱業所の新居浜移転を加速させる原因となった。「住友別子鉱山史」には、同日の降水量325ミリ余のほとんどが集中豪雨となって降り注ぎ、山津波となって人... 続きを読む

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