検索結果

2169件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

年代順で並び替える : |

文政8年6月の洪水

文政8年(1825)6月3日、大雨、洪水、河川堤防決潰、市之坪押し流され、出合辺海の如し。潰家500軒、山崩れ1,024箇所、損毛4万石に余る。(「松山叢談」による) 続きを読む

文政8年6月の洪水

文政8年(1825)6月3日、松山で大雨のため出水し、石手川などの堤が切れ、市の坪辺りは押し流され、出合辺りは海のようになった。被害は田畑の水押・砂入2,549町12反余、百姓家の潰・半潰316軒、池の潰込・損壊753箇所、牛馬屋の潰・半潰185軒、山潰抜1,... 続きを読む

文政8年の台風

文政8年(1825)6月3日、暴風雨により家屋損害316戸、堤防694箇所、道・橋1,590箇所、池753箇所、山崩れ1,024箇所、倒木338本、死傷7人、水害損毛41,421石届け出。(「松山叢談」による) 続きを読む

文政7年の風雨

文政7年(1824)6月27日、大風雨により、安居銅山崩壊。(「高知県歴史年表」、「高知県災害異誌」による) 続きを読む

文政6年の洪水・山崩れ

文政6年(1822)、高岡郡に大洪水あり、仁淀村で山崩れ、岩屋川をせき止めたため新湖出現する。/史料掲載:「仁淀村史」 続きを読む

文化12年の山崩れ

文化12年(1815)8月9日、香美郡に山崩れあり。/史料掲載:「総合美良布文化史」 続きを読む

文化12年の大雨

文化12年(1815)7月6日晩より9日まで大雨、雷鳴り、7日土砂崩れにより家が埋まった。また、8月9日には山津波により田が被害を受けたが、いずれも人的被害はなかった。(「天地の間の事覚附」による) 続きを読む

文化12年の水害

文化12年(1815)7月6日晩から9日まで、大雨により大水害が発生した。8月9日にも、山崩れにより大災害が発生した。(「天地の間の事覚附」による) 続きを読む

文化12年の台風

文化12年(1815)7月6日、土佐に暴風雨が襲い、物部川、仁淀川流域の各所で山崩れ起こる。「燧袋」、「神社明細帳」、「暁霞村史」、「総合美良布文化史」 続きを読む

寛政11年の洪水

寛政11年(1799)10月5日、山潮洪水により、所々山崩れが起こり、山路村小川の水は大洪水となった。(小野家資料による) 続きを読む

1 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 217