検索結果

2169件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

年代順で並び替える : |

享保6年の台風

享保6年(1721)7月15日、暴風雨と高潮により、伊予郡の被害が最も多し。松山藩内の被害は、堤防(海岸、川、池含めて)117,141間、田畑の流失・埋没3,716町、死者72人、家屋889戸、倒木429本、山崩れ29,320箇所。(「松山叢談」による) 続きを読む

宝永7年の洪水

宝永7年(1710)8月23日、大風雨。堤防が各地で決壊し、死者多数。五穀実らず。(「香川県政史年表」、「香川用水史」、白鳥町広報・資料による) 続きを読む

宝永6年の洪水・山崩れ

宝永6年(1709)7月7日、幡多郡に洪水、山崩れあり。/史料掲載:「神社明細帳」 続きを読む

宝永5年の洪水・山崩れ

宝永5年(1708)6月、土佐で洪水、安芸郡、長岡郡で山崩れあり。/史料掲載:「南路志」、「神社明細帳」 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月、大地震により、五剣山の一峯が崩壊した。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日、大地震、地裂け、水涌く、墓石ことごとく倒れ、五剣山の一峯崩落、人皆逃避、仮小屋造る。(「高松藩記」、「庄屋記録」、「讃岐国大日記」による) 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、南海道沖大震。谷陵記には「未の上刻(14時)大地震起り山穿ち水を漲し川埋り丘となる。国中の官舎民屋悉く転倒す。逃んとすれども眩て圧に打れ或は頓絶の者多し、又は幽峯寒谷の民は岩石のために死傷する者若干なり、係る後は必ず高汐入る由云... 続きを読む

宝永4年の地震

image

宝永4年(1707)10月4日、大地震、五剣山東一峰崩れる。町内死者10数人。東讃で潰れた家千軒。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、南海道沖と東海道沖でM8.4の二つの巨大地震が発生した。土佐の国では大地震と大津波によって、山崩れ、崖崩れ、地割れ、液状化現象などが生じ、被害は死者1,844人、家屋の流失11,170軒、倒壊4,866軒、半壊1,742軒などに... 続きを読む

宝永4年の地震による五剣山の崩落

image

宝永4年(1707)10月4日8ツ時分(午後2時)、地震してその声雷の如く、地裂けて水湧き出る。砂地は裂ける事わけて甚だし。五剣山の一峯崩れて落ちたり。火光雷の如く、其の響遠方まで聞こえたり。墓石は悉く倒れ、井戸側、水甕、壺等飛び出る。家は倒れ、或いはゆがみた... 続きを読む

1 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 217