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条件: 土砂災害

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昭和47年7月の大雨

昭和47年(1972)7月10日~13日、低気圧の東進により梅雨前線の活動が活発となり、大雨となった。最多雨域は剣山南東斜面の日早で総降水量617ミリ、木頭459ミリ、北川533ミリ、富岡328ミリ、徳島193ミリであった。被害は家屋の全壊1戸、半壊1戸、床上... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日午前10時55分、土佐山田町繁藤地区で、高さ約80m、幅約170m、約10万立米におよぶ大規模な地すべり性崩壊が発生した。このため、国道32号沿いの民家11戸、消防団員や地元の人々59人及び国鉄繁藤駅構内に停車中の機関車と客車2両... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日、集中豪雨により、土佐山田町繁藤の通称追廻山で大規模な山崩れが発生し、山津波は国道32号沿いの人家11戸と消防団員や地元の人々60人及び繁藤駅に停車中の機関車と客車2両を一呑みにして穴内川の対岸まで押し流した。(「高知県百科辞典」... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日午前6時、繁藤駅前の裏山が崩れ、6時45分の第二回目の山崩れにより消防団員が生き埋めとなった。6時48分第三回目の山崩れ。10時50分生き埋めとなった消防団員の着衣が見え、手作業で救出作業を開始しようとした10時54分、第四回目の... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日早朝、土佐山田町繁藤で生き埋めになった人の救出作業中、午前11時頃山が崩壊し、地元地区民、消防団員ら60人の犠牲者を出した。 続きを読む

昭和47年の繁藤豪雨

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昭和47年(1972)7月5日早朝、集中豪雨により、土佐山田町繁藤の通称追廻山(おいまわしやま)で山崩れが発生した。家屋の土砂排除などの作業中に、6時45分に2回目の山崩れが発生し、一人の消防団員が生き埋めになった。6時48分には第3回目の山崩れ、10時54分... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

昭和47年(1972)7月5日、繁藤大災害。地元民60人死亡。(高新年表による) 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日、集中豪雨により、土佐山田町繁藤では5時~6時の1時間雨量が95.5ミリ、6時~7時の1時間雨量が95.0ミリ、5日9時までの日雨量が742ミリに達した。このため、10時55分に追廻山で大規模な山崩れが発生し、死者・行方不明60人... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日早朝、豪雨のため土佐山田町繁藤の通称「追廻山」で山崩れが起き、家屋が埋没した。この崩壊土砂の排除中に小規模な崩壊が再度発生し、消防団員1人が土砂の下敷きになった。このため、消防団員や一般協力者が救出作業にあたっていたが、午前10時... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日、高知県中央部の豪雨により、天坪では連続雨量741ミリを記録した。土佐山田町繁藤で発生した大崩壊は、土讃線繁藤駅に停車中の列車を押し流し、救援の水防団員等60人を犠牲にした。崩壊した土量は約1万立米に及んだ。写真4枚。 続きを読む

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