検索結果

734件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 地震・津波

年代順で並び替える : |

安政元年の地震

image

嘉永7年(1854)11月4日、やや強い地震が起き、翌5日に伊予にとって未曾有の大地震に襲われた。「寅歳の大地震」と呼ばれた。余震は約3ヶ月間続いた。高鴨神社神主の日記には、小松町の恵比須宮の鳥居が倒れ、玉之江村南の春宮の鳥居もなびいたことなど、地震から約3ヶ... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日の両日、宇摩地方は大地震に襲われる。翌7日、大地震が発生し、別子銅山では坑内から一斉に出水し、湧水が止まらず、甚大な被害を受けた。三島地方も連日の地震で倒壊する家屋が続出し、人々は空き地、竹藪等に避難した。古老の伝承によると... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日午後4時、地震が発生した。七昼夜の間ほとんど間断なく震動し、家屋は倒壊し、各所に亀裂を生じ、人は立つこともできず、這って竹林に逃げ込んだり、立木にしがみついて口もきけないありさまだったと伝えられる。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日東南海道沖地震、5日南海道沖地震、7日伊予西部地震が起きた。「桜田親興日記」によると、宇和島では5日の大地震により家屋が倒壊し、さらに約1時間後に来襲した津波で被害が増した。「松山叢談」によると、松山領内の被害は家中屋敷の全半壊2... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日の両日、宇摩地方は大地震に襲われる。三島の人々は、2日間、仕事も手に付かず、竹藪に避難して生活した。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、大地震があり、松山地方ではさほどではなかったものの、3日後の11月7日に道後温泉の湯が止まった。途方に暮れる道後の街は悲惨その極地に達しが、結局宝永4年(1707)の地震の時と同じく、年明けて2月末日に再び湧出した。その間は、川... 続きを読む

安政元年の地震

image

安政元年(1854)11月4日、東海、東山、南海道にM8.4の東海地震。翌5日、畿内、東海、北陸、南海、山陽、山陰道にM8.4の南海地震。その2日後の11月7日、伊予西部・豊後地方にM7.3の地震。大洲城はこの3地震により、東御門台、東御門橋掛櫓が大破し、安政... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日辰刻中ゆり、5日申刻大地震半時ばかり、酉戌刻両度大ゆり。居宅土蔵夥しく崩れ、土地所々大いに開き、あるいは泥水など吹き出す。海辺汐際に穴あき、150尋も綱を入れても届かなかった。道後温泉は止まり、少しも出ず。(「加茂社記」による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月3日、5日及び7日、大地震、領内家屋破損。(大洲領の災害) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、大地震が起こり、海岸部で大きな被害が出た。家屋の全壊・半壊は百姓家で1,273軒、土蔵・納屋で1,038軒、郷蔵101箇所、池・堤防・樋の痛んだ所84箇所、田畑・井手・道・橋の痛んだ所202箇所に及んだ。 続きを読む

1 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 74